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[コメント] 2018-03-29 11:37

No.146 ふるさとの物語 第49回 版画誌「浅鉢形土器(風韻堂コレクション)」~シャープで精巧な文様~

ふるさとの物語 第49回 版画誌「浅鉢形土器(風韻堂コレクション)」~シャープで精巧な文様~

県立郷土館の風韻堂コレクションは、青森市の医師・故大高興氏が郷土史家である父佐藤公知氏とともに収集した考古資料である。開館を半年後に控えた1973(昭和48)年2月に寄贈され、その数は約1万1千点余り、うち64点が県重宝に指定されている。
コレクションの内訳は、亀ヶ岡遺跡(つがる市)出土品を中心とし、三内丸山遺跡(青森市)、是川中居遺跡(八戸市)、二ツ森貝塚(七戸町)などの資料も多数ある。
写真の浅鉢形土器は亀ヶ岡遺跡出土品(口径20.5cm高6.7cm)。内面は黒漆と赤漆の2色で雲形文が彩られている。一方、外面は半肉彫り手法で雲形文が描かれている。
両面とも、模様をつける「施文具」のはこびに滞りのない、シャープな切れ味が感じられる精巧な文様。考古資料としてだけでなく美術工芸品としても優品で、「風韻堂コレクションの顔」といえる資料の一つである。
長期休館中の県立郷土館では、4月1日の営業再開館に合わせ、風韻堂コレクションの展示替えに向けた準備作業の真っ最中。この土器は資料保護のため、近年非公開としていたが、営業再開後に期間限定で5年ぶりに公開する予定だ。

写真:「県重宝の浅鉢土器」
※この記事は2018年3月8日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 杉野森淳子

[コメント] 2018-03-29 11:36

No.145 ふるさとの物語 第48回「オシラサマ」~信仰集める「家の神」~

ふるさとの物語 第48回「オシラサマ」~信仰集める「家の神」~

オシラサマとは女性と馬をかたどった一対の神像である。東北地方各地で「家の神」として信仰されてきた。その祭日は旧暦3月16日だとされ、新暦2月から3月にかけて、県内の各ムラでは毎年「オシラサマを遊ばせる」といって、宿を決めて各家のオシラサマを持ち寄って集まりお祀りした。前日には、主婦が自分の家のオシラサマを背負って布施を集めて歩き、オシラサマに着せるオセンダク(布)を新調することもあった。
ムラの人々が集まった宿では、各家のオシラサマを並べて、イタコやカミサマなどの民間宗教者に祭文を唱えてもらう。その後、ムラの様々な神仏をおろしてもらい、今年一年の田畑が豊作かどうか、各家や人々に災いがないかどうか、占ってもらう。
以前、岩木川沿岸の農村清野袋集落の祭祀にお邪魔したとき「何月頃に悪い風邪がはやる」「何月に何色の車が事故を起こす気をつけよ」などというイタコによるお告げに、人々が真剣に耳を傾けられていたのが印象的だった。北国が春を迎える行事のひとつである。

写真:オシラサマの前で今年一年の占いをするイタコ(2006年弘前市清野袋、筆者撮影)
※この記事は2018年3月1日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 小山隆秀

[コメント] 2018-03-29 11:35

No.144 ふるさとの物語 第47回「青森市分譲住宅地鳥瞰図」~「練兵町」の面影伝える~

ふるさとの物語 第47回「青森市分譲住宅地鳥瞰図」~「練兵町」の面影伝える~

写真の図は、青森市堤橋から一キロ余り東に位置する、おおよそ現在の浪打一・二丁目にあたる地域を中心にして描いた、昭和初期の鳥瞰図である。元々、この場所は明治期以来、陸軍歩兵第五連隊の練兵場であったが、用地が手狭になり、当時の浜館村駒込(現在の戸山団地付近)に移転し、1928(昭和3)年6月からその跡地が住宅地として分譲された。この場所のかつての地名「練兵町」が「練兵場」に由来することは言うまでもない。
 図の左下には合浦公園が見える。その左端には、「招魂社(招魂堂)」が見える。ここでは、明治以来、戦没者を弔う招魂祭が行われていた。招魂堂は戦後廃止されたが、その建物は、1949(昭和24)年に諏訪神社の拝殿として移され、現在でも使用されている。
 そのほか、図中には、1930(昭和5)年開校の浪打小学校をはじめとして、師範学校と附属小学校、中学校、商業学校と、学校も数多く、佃グラウンドが見える。また、左下隅には浪打駅がある。このように練兵町は、周辺に教育・レクリエーション施設、交通機関に恵まれた住宅地として早くから整備された。現在でもここは閑静な住宅地である。

写真:「青森市分譲住宅地鳥瞰図」(1930~31年)
※この記事は2018年2月22日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 佐藤良宣

[コメント] 2018-03-29 11:34

No.143 ふるさとの物語 第46回 版画誌「彫刻刀」~優れた芸術家育てる~

ふるさとの物語 第46回 版画誌「彫刻刀」~優れた芸術家育てる~

川のほとりだろうか、じっとこちらをうかがっている。やせた体に長い手足、周りには魚の骨が散らばっている。ちょっと不気味な河童の姿(版画)が貼り付けられているのは、昭和初めに青森市で発行された版画の同人誌である。
明治の末、版画を実用的な印刷物としてではなく、美術作品としてとらえようとする新しい動きが起こった。創作版画運動と呼ばれるものである。元になる絵(下絵)を描く、彫る、摺るという一連の作業を作家自身が行う「創作版画」。それを貼り込んだ同人誌(創作版画誌)が、大正期から昭和初期にかけて全国各地で刊行された。
県内で初めての創作版画誌は、昭和5年(1930)に青森中学(現青森高校)の生徒だった佐藤米次郎、根市良三、柿崎卓治が作った『緑樹夢(りょくじゅむ)』といわれる。彼らが始めた版画誌作りは、その後、関野凖一郎ら多くの若者たちが加わり展開していった。この『彫刻刀』は、その流れの中枢にあるものである。こうした版画誌には、当時指導的な立場にあった銅版画の先駆者今純三をはじめ、後に日本を代表する版画家棟方志功なども関わっている。
郷土館では、青森県近代文学館で開催される『本の装い』展(2月24日から)で、本県の版画の歴史に欠かせない貴重な版画誌を紹介する。様々な人が関わり生まれた版画誌は、版画制作に関わる若者を刺激し優れた芸術家たちを育てた。彼らの中には、「本」にまつわる仕事、表紙画や挿画、豆本制作などでも活躍した人も多い。

写真:「彫刻刀 第三号」(1931年)
※この記事は2018年2月15日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 大田原慶子

[コメント] 2018-03-29 11:33

No.142 ふるさとの物語 第45回「雪上に残った足跡」~えさ探し回る動物たち~

ふるさとの物語 第45回「雪上に残った足跡」~えさ探し回る動物たち~

冬眠して春を待つ動物も多いが、雪の上に足跡を付ける動物たちは冬眠せず、えさを求め活発に行動している。足跡の写真は岩木川の河川敷で見つけたトウホクノウサギの足跡だ。足跡はまるで「けんけんぱ、けんけんぱ」と遊んでいるようだ。ウサギは後ろ足でジャンプして「前足・前足・両後ろ足」の順番で着地する。これが「けんけんぱ」に見えるのである。
 ウサギの足跡のそばで、きれいに一直線で歩く足跡を見ることがある。これはホンドギツネの足跡だ。キツネが獲物であるウサギを追いかけているのである。当然ウサギもキツネなどの天敵が襲ってくるのを知っていて、不必要に歩き回ったり、Uターンしたり、急に大きく横にジャンプしたりして足跡をかく乱させる。
 ホンドタヌキの足跡は、ふらふらと歩いているように見える。雪が降った後は足跡を見つけるチャンスだ。ウサギ・キツネ・タヌキ以外にも様々な動物の足跡を見つけることができる。足跡探しもなかなか楽しいものである。

写真:トウホクノウサギの足跡(つがる市の岩木川河川敷)
※この記事は2018年2月8日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 豊田雅彦


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