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ふるさとの物語 第184回 合浦回想        ~柔らかい色彩の原風景~

2020-10-29 11:05

ふるさとの物語 第184回 合浦回想        ~柔らかい色彩の原風景~  絵の作者、濱田正二(1913~2008年)は、函館市出身で、青森市に移り住んでから、画家・今純三に師事し、油彩画を学んだ洋画家である。1962(昭和37)年から30年以上の長きにわたり、青森のタウン誌「北の街」の表紙画を担当した。「北の街」は一昨年惜しまれながら終刊になったのをご存じの方も多いことと思う。
 この絵は、青森市東部にある合浦公園を題材にして、柔らかい色彩の色鉛筆で抽象的に描かれている。
「観桜会、運動会、海水浴、ナヌカ日のネブタ流し、公園裏門近くの今純三のアトリエ、棟方志功さんが油絵を描くのをそばで見ていた。彼が描くのは、池とあずまや、藤棚、蓮池であった。夏休みは終日海で遊んで、夕方浪打駅から汽車で青森駅まできて家に帰った。戦後進駐軍が公園に宿舎を建てて市民は立ち入り禁止になり、公園は荒れていった…(中略)今日合浦公園の原風景はほとんど失われてしまった。」(「北の街」1993年7号より)
 表紙絵に付された作者の言葉を読むと、今の私たちが知らない合浦公園の姿があり、様々な思いが込められているのがわかる。そういった思いを感じながら、改めて美しいパステルカラーで描かれたこの絵を眺め、合浦公園の原風景に思いをはせたい。

※濱田正二作「北の街表紙原画」より「合浦回想」(1993年 色鉛筆 紙 青森県立郷土館蔵)
※この記事は2020年10月29日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館主任学芸主査 中村理香


ふるさとの物語 第183回 アオスジアゲハ     ~北上する南国のチョウ~

2020-10-29 11:05

ふるさとの物語 第183回 アオスジアゲハ     ~北上する南国のチョウ~  黒地に目の覚めるようなエメラルドグリーンの帯があり、いかにも南国のチョウらしいアオスジアゲハは、かつては青森県には分布しないあこがれのチョウであった。元来、東洋熱帯に広く分布しているこのチョウは、日本列島では海沿いに分布を北に延ばし、日本海側では秋田県由利本荘市、太平洋側では岩手県の大船渡辺りが北限であった。
 それが、2000(平成12)年の秋、深浦町で初めて目撃されてから、2007(平成19)年、同町で最初の個体が採集されるにおよび、それからは毎年発生が繰り返され、青森県に定着してしまった。
 暖流の対馬海流が海岸線を洗う深浦町は、冬季の気温が県内で最も高いところである。その影響で、深浦町(特に岩崎地区)には、タブノキ、エノキ、ヤマアイなどの南方系植物がここだけに生育していることが以前より知られてきたが、そのうちのタブノキはアオスジアゲハの食樹(幼虫のえさ)である。
 越冬はさなぎで行うが、北限では途中で死ぬ個体も多い。したがって、初夏に発生する第一化(春型)の個体数は極端に少ないが、8月には、第二化(夏型)がヤブカラシの花に飛来する様子を毎年見かけることができている。
 近年の地球温暖化は、気象統計の上でもはっきり表れているが、それに呼応して多くの昆虫たちも分布を北に伸ばしている。チョウの仲間ではアオスジアゲハの他にもクロアゲハ、キタキチョウ、ヤマトシジミも近年県内に定着した例であり、越冬の可否が分布の可否の鍵のようだ。

※画像(右) ヤブカラシで吸蜜するアオスジアゲハ 画像(左) 交尾するヤマトシジミ
※この記事は2020年10月22日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館主任学芸主査 太田正文


ふるさとの物語 第182回 聖火リレー       ~二手に分かれ東京へ~

2020-10-29 11:04

ふるさとの物語 第182回 聖火リレー       ~二手に分かれ東京へ~  この写真は、1964(昭和39)年9月19日午前、青森県庁前を出発しようとする東京オリンピックの聖火リレーランナーと、それを見守る大勢の観客たちの様子である。
 当時の聖火リレーは、鹿児島と北海道の千歳から、全国を4つのルートで巡り、それぞれ東京の国立競技場をめざすものであった。
 同月17日、聖火ランナーたちは函館から青函連絡船津軽丸に乗船した。平舘沖の船上で青森県側のランナーへの引継式が行われた。ランナーと伴走者たちは、青森で下船した後に新町通りを走って県庁に到達し、竹内俊吉青森県知事の手で県庁前に設けられた聖火台が点火された。その後、聖火は青森市内に2晩留まった。
19日午前9時から県庁前で聖火の出発式が行われた。ここでリレーは2手に分かれ、秋田・新潟・群馬の各県を経由する第3コースと、岩手・栃木・茨城・千葉の各県を経由する第4コースのランナーがそれぞれ東京をめざして出発して行った。

※画像:青森県庁前から出発しようとする聖火リレーのランナー。建物の屋根にも多くの見物人が登っている。鎌田清衛撮影。
※この記事は2020年10月15日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館学芸主幹 佐藤良宣


ふるさとの物語 第181回 缶詰の委託加工     ~山の幸を贈り物に~

2020-10-29 11:03

ふるさとの物語 第181回 缶詰の委託加工     ~山の幸を贈り物に~  中元や歳暮の贈答品の9割は食品だという。食品の贈答には、秋の刈り上げ節供に餅をもらって鮭を返すように、互いの食物を交換し共食することで社会的な関係を築く意味がある。
 さて本県には、自ら採った山菜やキノコを「缶詰」に加工して贈るという贈答慣行がある。中元や歳暮、あるいは友人や親族への贈り物として用いられる。
 個人が缶詰を作るには、「委託加工所」と呼ばれる町工場に頼む。素材を持ち込めば、多少に関わらず、専用の機械と設備で缶詰に仕上げてくれる。
 青森市久栗坂で「須藤缶詰加工所」を営む中山一男(いちお)さん(1945=昭和20=年生まれ)夫妻によると、外ケ浜や八甲田で採った山の幸の持ち込みが多いという。春はササダケから始まり、ネマガリタケやフキ、ミズなどと続き、秋はサモダシに始まってナメコで終わる。1980年代には年に数万缶の依頼があり、作業は早朝から深夜に及んだ。依頼者の多くは、青森市郊外や近隣町村の農家の人であった。
 現在では缶詰を作って贈るという習慣も廃れつつある。第一、山菜やキノコを採りに行く人が減ったと中山さん夫妻は語る。市内に十数軒あった加工所も、今は数えるほどしかない。 
 明後日10月10日は「缶詰の日」。1877(明治10)年の同日、日本で初めて商品として製造されたことにちなむ。缶詰といえば商業的な生産品が主流だが、頼む人、作る人、贈る人の顔が見える手作りの缶詰なら、もらった人もなお嬉しいだろう。

※画像:巻締機で缶を密閉する一男さん(左)。作業は奥さんのみさ子さん(右)との二人三脚だ。
※この記事は2020年10月8日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館学芸主査 増田公寧


ふるさとの物語 第180回 カモメガイとマツカゼガイ ~穴の中の二枚貝~

2020-10-29 10:59

ふるさとの物語 第180回 カモメガイとマツカゼガイ ~穴の中の二枚貝~  浜辺で、丸い穴がいくつもあいた石を見たことはないだろうか。そのような石を割ってみると、穴の中に二枚貝が入っていることがある。
 写真はその一例だが、左側の穴は下の方(奥)にふくらんだ形をして、カモメガイという二枚貝がすっぽりと収まっている。貝の殻をよく見ると、殻の下半分におろし金のようなギザギザの彫刻があることに気づく。この彫刻があることで、穴に波が入ってくると殻が回転し、穴が削られていく。殻が成長しながら穴を削った結果、このような形の穴ができた。
 一方、右側の穴は上部が壊れているが、やはり下の方にふくらんだ形をしている。ただ、穴の形はややいびつで、中に入っているのはマツカゼガイという二枚貝。マツカゼガイは、殻の表面の彫刻が一定で、穴のサイズより小さい。このことから、穴はおそらくカモメガイがあけたもので、マツカゼガイはこの穴を利用して生活していたと考えられる。

※画像:石に穴をあけてすむカモメガイ(左)と穴を利用してすむマツカゼガイ(右)
※この記事は2020年10月1日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館学芸課長 島口 天