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[コメント] 2018-06-02 16:36

No.157 ふるさとの物語 第60回「久渡寺のオシラ講」~農作物、家、一族守る神~

ふるさとの物語 第60回「久渡寺のオシラ講」~農作物、家、一族守る神~

弘前市南西の郊外に標高662.9mの久渡寺山があり、その北麓にオシラ講で有名な真言宗久渡寺がある。
オシラ様とは、馬と女性をかたどった一対の棒状のものに、何枚も布をかぶせた姿をしており、長者の娘と馬との悲恋から生まれた神であり、農作物や家、一族を守る神だという。
明治期以降、津軽地方でオシラ様の信仰の中心となったのが久渡寺である。毎年、新暦5月15日と16日にオシラ講がおこなわれ、青森県内や北海道、秋田県などから、木箱や行李に入れたオシラ様を背負った女性達が集まる。「位を上げる」といって、オシラサマの布に御朱印を押してもらう。そしてオシラ様に華やかな衣装を着せて祭壇に飾りお供えをし、祈祷してもらう。
この行事は、平成11年に「久渡寺のオシラ講の習俗」として、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
(青森県立郷土館主任学芸主査 小山隆秀)

写真:「久渡寺のオシラ講(昭和30年代、故野呂善造氏撮影、県立郷土館収蔵資料)
※この記事は2018年 5月24日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 小山隆秀

[コメント] 2018-06-02 16:35

No.156 ふるさとの物語 第59回「蓑虫山人の風景図屏風」~垣間見える浪岡での日々~

ふるさとの物語 第59回「蓑虫山人の風景図屏風」~垣間見える浪岡での日々~

以前、本欄で紹介した放浪の画人、蓑虫山人(みのむしさんじん、1836~1900年、現在の岐阜県に生まれる)の描いた風景図屏風が、近年発見された。青森市浪岡の旧家に伝わったものである。
彼が、本県浪岡や深浦を拠点に亀ヶ岡遺跡(つがる市)の発掘を手がけたりして津軽地域を巡ったのは、明治15~20年頃。今回新しく見つかったこの屏風は、浪岡滞在中に描かれたものと考えられ、当地の名所案内図的な要素を持っている。また、彼が浪岡で何を考えて過ごしていたのかを垣間見ることができる資料である。
画面下、中心街を流れる浪岡川には、橋がかかり人々が行き交う。川沿いには、戦後まであったとされる二階建ての割烹料理屋と思われる建物がある。また、当時は大きな樅の木がシンボルだったという玄徳寺、立派な鳥居の浪岡八幡宮、さらに浪岡城や北畠氏の墓所など、描かれているのはそれぞれ彼のなじみのある場所である。実際の光景に少し想像や空想を加え、自由に、自分も周囲の人々も楽しめるものを描く、そんな姿勢が反映されているユニークな屏風である。
彼にとって浪岡は、歴史といい、交わった人々といい、とても居心地が良く面白い土地だった。自分で描いた屏風を前に心を許した友人らと熱く語り合う、そんな場面がたびたびあったのかもしれない。
本屏風をはじめ、当館に新しく収蔵された資料を紹介する企画展「新収蔵×再発見2018」は、7月1日まで開催しています。

写真:蓑虫山人筆「浪岡全景図屏風」郷土館蔵
※この記事は2018年 5月17日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 太田原慶子

[コメント] 2018-06-02 16:33

No.155 ふるさとの物語 第58回「吉田初三郎の鳥瞰図」~5基の突堤「幻の港」~

ふるさとの物語 第58回「吉田初三郎の鳥瞰図」~5基の突堤「幻の港」~

吉田初三郎は、大正期から1955(昭和30)年に没するまで、全国各地の鳥瞰図を描いた画家である。彼は、青森市の鳥瞰図を1932(同7)年と1948(同23)年の2回製作している。写真の図は、彼の描いた32年の鳥瞰図のうち、堤川河口から聖徳公園付近までの海岸沿いを描いた部分である。ここには、オリーブ色に着色された部分がある。その上に建物は見えないが、海に向かって突き出した5基の突堤の前には、多くの船がひしめき合うように描かれ、堂々とした港湾施設を想像させる。
しかし、不可解なことに、地図をはじめとする当時の資料を見ても、そのような5基の突堤の存在はうかがえない。
 実は、これは、初三郎が当時の港湾修築計画完了後の姿を先取りして描いたからである。
24(大正13)年に竣工した青森港第一期修築工事によって青函連絡船の岸壁は完成し、連絡船が岸壁に接岸できるようになり、はしけを使った乗船・荷役という長年の不便から解放された。しかし、その他の大型船が接岸できる設備は設けられなかった。
 そこで、早くから第二期修築工事を求める運動が進められた。これに応じ、港湾政策を考える団体である港湾協会は、27(昭和2)年に青森港拡張計画を示した。写真の初三郎鳥瞰図は、その計画図をなぞるように描かれている。
 しかし、その後、予算上の事情で規模が縮小され、32(同7)年に着工されたものの、またもや予算上の都合により、工事は途中で打ち切りとなった。結果として、この鳥瞰図に描かれたような港は、幻となったのである。

写真:1932年発行の鳥瞰折図『青森』(部分)室谷洋司氏所蔵
※この記事は2018年 5月10日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 佐藤良宣

[コメント] 2018-06-02 16:32

No.154 ふるさとの物語 第57回「石倉岳」(青森市)~でこぼこ山容に特徴~

ふるさとの物語 第57回「石倉岳」(青森市)~でこぼこ山容に特徴~

北八甲田には、主峰の八甲田大岳をはじめ成層火山特有の円錐形の山体がいくつも見られるが、傘松峠近くの石倉岳(1,202m)は凹凸が激しくデコボコしている。
石倉岳はその特徴的な山容から、津軽では早くから注目された山であったようだ。他の山が八甲田に一括されるときでも別記されていることが多い。南部地方では、十和田市の奥瀬と法量の村境の起点となっていた。
 石倉岳に近づいてみると、ゴツゴツとした岩場が目立つ。この岩は、マグマが冷え固まったデイサイトという岩石であるが、全体が白色に変質し、1100万~900万年前の海底火山活動でできたと考えられている。つまり、石倉岳をつくっている岩石は、八甲田の基盤となっている古い岩石なのである。
 八甲田火山群はこのような基盤岩の上に形成された活火山で、北八甲田火山群は40万年前頃から活動を始めた新しい火山であるため、美しい円錐形をした火山体が多い。
写真:石倉岳(左)と硫黄岳(睡蓮沼から)
※この記事は2018年 5月 3日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課副課長 島口 天

[コメント] 2018-06-02 16:28

No.153 ふるさとの物語 第56回「泉山の登拝行事」~ムラの伝統的人生儀礼~

ふるさとの物語 第56回「泉山の登拝行事」~ムラの伝統的人生儀礼~

国道4号を三戸方面に向かうと、剣吉、虎渡あたりから名久井岳が目の前に姿を現す。この山の第2峰には月山奥の院がまつられていて、西麓の三戸町泉山にある月山神社の例大祭のときには、泉山に縁のある7歳から9歳の男の子たちが父親に伴われて、麓の神社から奥の院まで登拝する。
 この行事は男の子がムラの成員となる過程の一つであり、伝統的な人生儀礼をよく伝える重要なものとして、平成9年12月に「泉山の登拝行事」という名称で国の重要無形民俗文化財に指定された。
 指定された年の7月25日、見学のために行事に仲間で参加させていただいた。標高五〇〇メートル程度と聞いていたので、軽い気持ちで付いていったのが失敗であった。
登りは小さい子供にはきつい場所もあり、子供たちを見守りながら山頂を目指した。
奥の院にたどり着くとそれぞれワラジを取り替え、一同揃ったところで神事が行われた。そして直会(なおらい)となったが、大人たちは酒の献杯、返杯の応酬となった。お神酒なので断れない。
 大人たちの下山は酔いが回り体がだるく苦しそうであった。子供たちはもう山に慣れたのか、身軽に降りて行ってしまった。

写真:男の子が父親に伴われて登拝する「泉山月山初登り」(青森県史編さん資料)
※この記事は2018年4月26日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館副館長 古川 実


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