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[コメント] 2019-03-15 09:58

No.182 ふるさとの物語 第85回「下澤木鉢郎の描いた目屋」

ふるさとの物語 第85回「下澤木鉢郎の描いた目屋」

昭和初期の目屋の風景を描いた画家に下澤木鉢郎(しもさわ きはちろう、1901~1986年)がいる。下澤は弘前市出身、大正5年(1916)に画家を志して上京した。大正13年には帝展に入選するなど、中央での評価を高めていった。木版画制作でも、優れた技術で色彩豊かな詩情あふれる作品を発表し続けた。その活躍は、青森で同じように美術家を夢見る若者たちにとってあこがれの存在となった。
 彼は俳句もたしなみ、自作の句に絵画や版画を添えた句集や画集も、数多く編集している。「季節のうつり変わり、その姿や色彩の妙を絵にし、絵にならないときは句にする」として、目の前の光景を描き、句にする喜びを自分は持っていると彼は語る。そんな彼が、「目屋」を思うとき、子供の頃の記憶、冬の吹雪の日が浮かぶという。「目屋の山奥から山の神様が町へ来る日なので荒れるのだ」(『素描と句 目屋風景』)と大人達から教えられ、恐怖の心をもって印象づけられた目屋の山奥―しかし「風景を探る画描き」になり、四季を問わず何度も足を運ぶ場になった。この作品は、目屋の山奥、「人があまり行かないという渓谷 獅子ヶ沢」(同)を描いたもので、昭和10年秋の作。

※図版:「獅子ヶ沢」油彩・板 昭和10年(県立郷土館蔵)
※この記事は2018年11月15日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 太田原恵子

[コメント] 2019-03-15 09:56

No.181 ふるさとの物語 第84回「七戸描いた鳥瞰図」~「馬のみやこ」情景広がる~

ふるさとの物語 第84回「七戸描いた鳥瞰図」~「馬のみやこ」情景広がる~

写真は、七戸町の姿を描いた吉田初三郎の鳥瞰図『馬のみやこ 七戸町』(昭和9年)である。この図の奥には十和田湖と八甲田山が配されている。図のほぼ中央には、中世以来の城である柏葉城(別名:七戸城)と城内の神明宮が据えられており、その下からやや左上に向かって市街地が広がっているのが見える。
さて、七戸町を含む青森県東部は平安時代以来の馬産地でもあった。藩政時代から七戸には馬市が設けられていた。図の中央からやや左よりの、川の右側に見える「不動堂」は、小田子(こだこ)不動堂であろう。ここには様々な願いが込められた江戸時代の絵馬が多数奉納された。現在それらは国の重要有形民俗文化財に指定され、七戸町立鷹山宇一記念美術館に保存されている。それらのなかには馬の姿が描かれたものも数多く存在する。この図の表紙も、馬が描かれた絵馬である。
明治以降、輸送や軍用・農耕等で馬の需要が高まり、七戸周辺でも牧場がいくつか開設された。図中にも、七戸の市街地の外側には盛田牧場等、いくつかの牧場が見える。明治二九年、軍馬の改良を目的とした国の奥羽種馬牧場が七戸に誘致された。ほか、当時の同町には青森県種畜場、軍馬補充部七戸支部が置かれていた。まさに「馬のみやこ」の名にふさわしい情景である。

※写真:吉田初三郎の鳥瞰図「馬のみやこ七戸町」(1934年)の一部
※この記事は2018年11月 8日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 佐藤良宣

[コメント] 2019-03-15 09:43

No.180 ふるさとの物語 第83回「尾太岳」~豊かな鉱床抱く三角の山~

ふるさとの物語 第83回「尾太岳」~豊かな鉱床抱く三角の山~

青森県南西部と秋田県北西部にまたがる広大な山塊は白神山地と呼ばれ、その本県側南東部に尾太岳(1084m)がある。周囲の山々より高く、頂部が三角形であることから見つけやすい。
尾太岳の東麓には、かつて本県を代表する鉱山の一つ尾太鉱山があった。この鉱山の歴史はかなり古いものの、本格的な採鉱が始まったのは1952年(昭和27)のこと。鉱床は、海底火山の噴出物からなる地層中にできた割れ目に沿って脈状に形成されており、その幅は平均1.2m、東北東に緩く傾斜して延びていた。これを掘り進んだ坑道は非常に長く、銅や亜鉛、鉛、鉄を含む鉱石が産出した。鉱山の発展に伴い湯ノ沢川沿いには、鉱山関係者が住む西目屋村最大の尾太集落があった。
2016年に完成した津軽ダムの建設に併せて行われた遺跡の発掘調査では、縄文時代の出土品の中に鉱石が数点あった。尾太鉱山でも同じような鉱石が採れており、川原に転がっていたものを縄文人が珍しい石だと思って拾ったのだろうか。

※写真:青森県防災ヘリコプター「しらかみ」から撮影した尾太岳。写真右下の方を湯ノ沢川が流れ、尾太鉱山があった
※この記事は2018年11月 1日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 島口 天

[コメント] 2019-03-15 09:42

No.179 ふるさとの物語 第82回「松倉神社」~津軽を北から見下ろす~

ふるさとの物語 第82回「松倉神社」~津軽を北から見下ろす~

津軽半島を南北に連なる山地の南端あたりが梵珠山で、その山の西側中腹に松倉神社が鎮座する。
 五所川原市前田野目から車で10分ほど行くと松倉神社の登拝口で、そこからは歩きとなった。赤い鳥居をくぐって参道をしばらく登ると、拝殿とも休憩所とも思われるお堂にたどり着いた。板壁に掛けられた額に入った神社由緒によれば、役小角(えんのおづぬ)の高弟が観音堂を建立、修験者らの聖地とされた時代を経て江戸時代には津軽三十三観音の霊場に定められ、多くの参拝者があったという。
 神社の後ろに高さ5メートルほどの岩場があり、ロープをつたってよじ登ると、三つの祠がまつられていて、それぞれ「オオヤマズミノ神」、「スクナヒコナノ神(別名薬師如来)」、「オオナモチノ神(別名大国主命)」と掲示されていた。
 はっとしたのはそこからの眺望であった。眼下に津軽平野が広がり至る所で田に水を引いていて、向こうには岩木山が対峙する。北から津軽を見下ろすのは初めてかも知れないと思った。

※写真:松倉神社近くの岩場から岩木山を望む
※この記事は2018年10月25日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館副館長 古川 実

[コメント] 2019-03-15 09:40

No.178 ふるさとの物語 第81回「ニホンカモシカ」~本県が北限 牛の仲間~

ふるさとの物語 第81回「ニホンカモシカ」~本県が北限 牛の仲間~

野山でよく見かける大型哺乳類と言うと、ニホンカモシカが上げられる。シカの仲間は毎年角が生え変わるが、ニホンカモシカは生え変わることがないウシ科の仲間である。
 成体の体重は40キロ前後で、雌雄ともに10センチ前後の円すい形の角を持ち、年とともに伸び、毎年角輪ができて年齢推測ができる。全身が白や灰褐色の長い体毛に覆われている。
 日本固有種で、本州、四国、九州に分布するが、主に東北地方、中部地方の森林で生息域を拡大。本県が分布北限で、海岸、低山地から亜高山帯の森林などで見かける。畑や民家近くに出てくることもある。
 ミズナラやブナなどが見られる落葉広葉樹林などに広く生息し、木本類の葉、樹皮、果実や草本類、ササ類等を好んで食べる。積雪期には、前足で雪を除いて食べ物を探したりする。他のウシ科の動物と同じく反すう胃を持っている。ふんも特徴的で粒状である。排便については、シカは歩きながら散布する傾向があるが、ニホンカモシカは歩くのを止め、まとめて「ためふん」をすることが多い。
 ニホンカモシカの子どもは1年ほど母親と一緒に過ごすが、あとは単独で生活することが多く、縄張りを作って生活する。眼の下部に眼下腺という大きな臭腺がある。ここから出る粘液を枝などに擦りつけ、自分の縄張りを主張するマーキング行動を一所懸命に行う。平均20ヘクタール前後だが、さらに広い縄張りを作る個体もある。同姓が縄張りに入り込むと角などで追い出し行動を取る。
 県立郷土館へお越しの際には、ぜひとも自然展示室のニホンカモシカの親子のジオラマを見て心を和ませていただきたい。

※写真:むつ市で撮影されたニホンカモシカ
※この記事は2018年10月18日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 山内 智


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