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[コメント] 2017-06-30 09:29

No.104 ふるさとの物語 第10回「平安時代の水田跡」~洪水被害繰り返す~

ふるさとの物語 第10回「平安時代の水田跡」~洪水被害繰り返す~

写真は田舎館村前川遺跡で2007年に県内で初めて発見された平安時代の水田跡である。遺跡の500m先には田んぼアートのある村役場が、さらに2km先には垂柳遺跡がある。垂柳遺跡は弥生時代中期の水田跡が発見されたことで「米づくりが行われていた主な遺跡」として社会の教科書にも取り上げられている。
前川遺跡の平安時代の水田跡は、49枚見つかっている。一区画約10~30m×5~10mの長方形または亀甲形が多く、水田跡には当時の人々の足跡や稲株の跡が多数残っている。遺跡は岩木川の支流である浅瀬石川によって形成された扇状地上にある。水に恵まれ水田に適した立地である一方、幾度と洪水の被害を受けた痕跡も見つかっている。
この発見から、県内一の米ところである当地は、弥生時代から今日まで水害と闘いながら米づくりを継続していたことが明らかとなった。ここはいつの時代も米づくりの先進地だったのではないだろうか。
水田跡の表面を剥ぎ取った資料は、田舎館村埋蔵文化財センターで展示している。

※この記事は2017年6月8日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 杉野森淳子

[コメント] 2017-06-30 09:27

No.103 ふるさとの物語 第9回「水虎大明神の神像」~子どもを水難から守る~

ふるさとの物語 第9回「水虎大明神の神像」~子どもを水難から守る~

弘前城北側の若党町(弘前市)は、かつて弘前藩士達が集住した地区であり、現在は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。岩木川が近く、近世当時は、夏のねぷた燈籠が城下町内を運行した後、最後に流される地域だった。すなわち人間の居住地と外の自然界との境目にあたる地域だったのではないか。
そのような境界には魔物が出るものだ。寛永年間(1624~1644)若党町の小川で、子どもが溺れて亡くなった。その子の肛門から、蛇のような形だが、一尺六、七寸(約52センチ)ほどの平らで大きな頭をもつ不可思議なモノが出てきたので、人々は「メドチであろう」と噂した(平尾魯仙「谷の響」)。メドチ、メドツとは、近世から現代にかけて青森県内各地で出没し、人々を脅かしてきた水の精または魔物である。
津軽平野部では、このような存在が近年まで出現した。同じ岩木川水系でつがる市を流れる古田川沿いでは、同種の存在が、スイコ様、水虎大明神として神格を得て、子どもたちを水難事故から守る神となっている。

※この記事は2017年6月1日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 小山隆秀

[コメント] 2017-05-31 16:16

No.102 ふるさとの物語 第8回「笠井甚一郎の遺品」

ふるさとの物語 第8回「笠井甚一郎の遺品」

 最近当館に本県出身の旧日本陸軍飛行兵、笠井甚一郎(1901~38)の遺品が寄贈された。彼は、岩木川支流旧十川流域の中川村(現 五所川原市)の生まれである。旧制中学校から陸軍幼年学校に移り、士官学校を経て1926(大正15)年に陸軍少尉として任官、その後所沢飛行学校(埼玉県)・明野飛行学校(茨城県)を経て、1936(昭和11)年に熊谷飛行学校教官兼研究員となり、航空気象の研究にあたった。
 翌年、中国北部への派遣を経て1938年2月はじめに帰国。その直後の2月18日、同僚とともに耐寒訓練のため、大型輸送機で所沢飛行場を出発したが、日光白根山付近で消息を絶った。
 翌月16日、福島県南会津郡檜枝岐村の片貝沢において搭乗した飛行機が発見され、その後彼は、仲間とともに遺体で発見された。機体の中から、ちり紙や地図、機体の壁などに書かれた遺書が発見された。これを書いたのは、笠井と、乗組員の竹沢であった。内容は、同機が不時着して衝突してから7日間の乗組員の様子のほか、墜落の原因と思われる事象、同僚・家族に宛てたメッセージなどであった。衝突の衝撃で腕を骨折、膝を捻挫していたにも関わらず、後世のために役立つ記録を残し、仲間や家族を思いやる気持ちを切々とつづったその遺書は、中央紙を含む各地の新聞に掲載され、多くの国民の感動を呼んだ。郷里の中川村では彼の村葬が営まれ、青森市の松木屋呉服店では、彼の遺品展が開かれた。

※この記事は2017年5月25日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 佐藤良宣

[コメント] 2017-05-31 16:15

No.101 ふるさとの物語 第7回「野澤如洋の日本画」

ふるさとの物語 第7回「野澤如洋の日本画」

岩影に集まる鮎、ふとした瞬間に一匹が水面から跳ねあがる、その一瞬が描かれた作品。清流のせせらぎや川面を吹く風、そして生命感、躍動感が伝わってくる。
描いたのは、野澤如(じょ)洋(よう)(1865~1937年)。如洋は、幕末の弘前に生まれ、明治期から昭和初期にかけて活躍した日本画家で、今年は没後80年にあたる。
幼い頃から画才を認められて近隣の画塾に通った。その後、弘前を離れ、自学して研鑽を積んだ。京都を拠点に精力的に活動し、多くの画会に出品、その評価を高めていった。
如洋には、一瞬でモノをとらえる眼力、迷いなく一気に描き上げる動作の俊敏さや度胸が備わっていた。これは、武芸の鍛錬によるものといわれている。
また、好んで馬を描いたことから「馬の如洋」と称されるが、山水、花鳥、人物と画題は多岐に及ぶ。川や湖、海など、「水」を描いた作品にも優れたものが多い。勢いよくしぶきをあげて流れ落ちていく滝、月を映して静かに揺れる湖面、また激しくぶつかり合う波、そして幾重にも重なり広がっていく、ただ波だけの大海の様など、様々な「水」の表現がある。
清流の一場面を切りとった「鮎図」は、如洋の画の魅力を感じる作品の一つといえるだろう。

※この記事は2017年5月18日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 太田原慶子

[コメント] 2017-05-31 16:14

No.100 ふるさとの物語 第6回「ツクバネソウ」

ふるさとの物語 第6回「ツクバネソウ」

むつ市の川内川渓谷には遊歩道があり、自然にふれあいながら散歩をすることができる。川内川渓谷は流紋岩という岩石でできていて、周囲に分布する火山噴出物が固まってできた凝灰岩と合わせ、750万年以上前の「檜川層」と呼ばれている。
 海底火山の活動でできたもので、当時この一帯は海の底だった。下戸ヶ淵橋から見下ろすと、川底に丸い穴がいくつもあいているのが確認できる。これは「おう穴」といい、石が川の流れで回転してあけた穴だ。
 ちょうどこの季節、遊歩道の周りにはムラサキヤシオツツジ、ウワミズザクラ、マイヅルソウ、ユキザサ、チゴユリ、ツクバネソウ、オオタチツボスミレ、オオバキスミレ、ハルネエビネ、ノビネチドリ、ギンランの他、春の草花が咲き誇る。
 タイミングが合えばこれらの花に川内川渓谷で出会えるかもしれない。写真は2年前の5月中旬に川内川渓谷で撮影したツクバネソウだ。名前の由来は羽根突きの羽に見立てたもので、通常は葉が4枚だが、このときは葉が5枚の個体も多く見られた。

※この記事は2017年5月11日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 豊田雅彦


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