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[コメント] 2017-08-05 10:56

No.108 ふるさとの物語 第14回 「貴福山對泉院」~困窮した人々を救済~

ふるさとの物語 第14回 「貴福山對泉院」~困窮した人々を救済~

八戸市新井田川下流に位置する曹洞宗貴福山對泉院。根城南部氏の一族で、現新井田地域を拠点とした新田氏の菩提寺である。
 八戸藩政期には格式高い「領内十ヵ寺」の1つとされ、天明の飢饉や猪の食害で困窮した人々の救済などにも尽くした。現新井田小学校も当寺を仮校舎として創立されている。 
楼門形式では市内最古の山門(八戸市有形文化財)や、天明の飢饉の餓死者の供養塔である山門両脇の「餓死万霊等供養塔」、「戒壇石」(共に県指定史跡)など、歴史的建造物も多い。本堂内には八戸藩主や曹洞宗の高僧などの滞在に使用した座敷が存在する。かつての本堂は明治43(1910)年に火災で焼失したが、日本の名工百人にも選ばれた宮大工中村松太郎のもと、檀家・地元住民などの協力で昭和25(1950)年に再建された。「大正の広重」こと吉田初三郎が昭和28年に描いた八戸市鳥瞰図原画(青森県立郷土館蔵)にも、市内の
名所の1つとして本堂再建後の当寺が描かれている。
庭園内の池には、大賀一郎博士が千葉県の遺跡で発掘した実に由来する2千年前の古代ハスが植えられ、8月には淡紅色の花が訪れた者を迎えてくれる。
写真:八戸鳥瞰図原画(吉田初三郎、1953年作画)に描かれた對泉院
※この記事は2017年7月6日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 滝本 敦

[コメント] 2017-08-05 11:00

No.109 ふるさとの物語 第15回 「松木満史『堤橋』」~アトリエ背に情景描く~

ふるさとの物語 第15回 「松木満史『堤橋』」~アトリエ背に情景描く~

大きな橋が画面中央を横切り、奥へ広がる青森市街へ続いている。生き生きと走るタッチが、晴天に浮き立つ街の空気をよく表している。堤橋は青森市内を流れる堤川に架かる橋である。作者の洋画家・松木満史は、橋の東側にあったアトリエを背にこの情景を描いた。アトリエは戦後松木が東京から青森へ戻ったときに建てられたもので、現存はしない。
6月25日に閉幕した郷土館企画展「松木満史展」では、ご来場の皆様からこのアトリエのエピソードが多数寄せられた。「アトリエと言っても小屋のようなもの。お酒を飲みながら絵を描いていた」、あるいは「面白い絵描きがいると聞いて行ってみたら、粗末な格好をした松木さんがぬっと出てきた」。語られたのは、飾らない生身の姿である。人と作品とのギャップに驚く方もいた。
現在、アトリエがあった場所には松木の頭像が設置されている。そばには諏訪神社もある。宵宮を楽しみながら、画家の見た情景に思いを馳せるのもいいかもしれない。
写真:松木満史の油絵「堤橋」1951年ごろ作
※この記事は2017年6月8日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 和山 大輔

[コメント] 2017-08-05 11:01

No.110 ふるさとの物語 第16回 「ショウジョウトンボ」~池のぬし?漂う風格~

ふるさとの物語 第16回 「ショウジョウトンボ」~池のぬし?漂う風格~

赤いトンボと言うと,ほとんどの人が成熟すると赤色に変色するアキアカネを連想する.しかし,トンボの研究者は必ず代表の一種にショウジョウトンボを上げる.
 ショウジョウトンボは,河川沿いなどの池沼、湿地等生息している.体長が約45ミリメートル前後で,腹部が幾分太身である.同じ赤色のアキアカネより大きく見える.六月下旬から八月下旬まで成虫が見られる.未成熟の成虫は雌雄とも橙黄色であるが,成熟すると雄は赤色,雌は茶褐色に体色が変わる.雄の赤色は大変鮮やかで,その姿から,鮮やかな深い紅色を意味する猩々緋から名前が作られたと言われている.
 ショウジョウトンボは日本全土に分布する.しかし,青森県で以前は普通に池沼に生息していたが,近年個体数,生息地ともに減
少し.絶滅が危惧される事から,青森県版RDBではCランク(希少野生生物)に指定された.保護を要するトンボである.
 最近,河川沿いの池で久しぶりにショウジョウトンボを見ることができた.赤い雄が水面上を低空飛翔しては岸辺から池に張り出した枯れ茎に戻ってくる.縄張り行動が見られた.飛翔は素早く,その動きは機敏である,鮮やかな赤色がよく目立つため,見ていても飽きることなく目で追いかけていた.同じ赤色のアキアカネより,風格のあるトンボで,池のぬしのようであった. 
 写真:ショウジョウトンボの雄
※この記事は2017年6月15日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 山内 智

[コメント] 2017-08-05 11:02

No.111 ふるさとの物語 第17回「イルカの参詣」~人にも勝る信心深さ~

ふるさとの物語 第17回「イルカの参詣」~人にも勝る信心深さ~

 青森市街の東側を流れる堤川は、作家太宰治が旧制青森中学校への登校途中、橋の欄干へもたれかかってぼんやりした「墨田川に似た広い川」(思ひ出)であり、現在は国道4号がこの川に架かる堤橋を通る。
 橋の周辺から川下は東西往来の渡し場となり、海からの舟の出入りもあって、古くから人々が集まる町場であった。異類のものも出入りしていたらしい。
 現在、堤橋の東岸にある諏訪神社は、1872(明治5)年の大火で被災する前は、河口付近の中洲に鎮座しており、ここにイルカがお参りすると言われていた。10~20頭のイルカの群れが月始めか月末ごろになると、上磯方面から浮きつ沈みつして堤川口に入り、参詣するのだという。
1786(天明6)年の「津軽俗説選」(工藤白龍著)に記録があり、著者は人にも勝るイルカの信心深さを褒めている。
 日本民俗学を確立した柳田國男は、晩年の著書「海上の道」において、老年となってもなお関心が消えない問題の一つとして「海豚参詣」の伝承をあげ、この伝承を分類して日本人の海の彼方との心の行き通いを探求することが願いであると述べた。「諏訪さま」へのイルカの参詣を柳田は気に掛けていたに違いない。 
 写真:諏訪神社の拝殿にある、イルカが描かれた奉納額
※この記事は2017年7月27日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 古川 実

[コメント] 2017-08-05 11:03

No.112 ふるさとの物語 第18回 「蚊よけの櫓(やぐら)」~若者たちの雑魚寝の場~

ふるさとの物語 第18回 「蚊よけの櫓(やぐら)」~若者たちの雑魚寝の場~

今から221年前、寛政8年7月3日(1796年8月5日)の夕暮れ。木造(つがる市)を訪れた紀行家・菅江真澄は、村々にそびえ立つ櫓を目にした(写真)。見上げると村の若者たちが、高い木の梢に組まれた櫓の上で過ごしている。聞けば「蚊から逃れるため」だという(『外濱奇勝』)。
 かつて津軽地方には、「蚊よけの櫓」を組み、そこで寝起きする習俗があった。英国の紀行家・イザベラ・バードも、明治11(1878)年8月5日、黒石で同様の光景を見ている。 「高さ二○~二五フィート[六~七・五㍍]の数本の柱で支えられた屋根のある四角い台[櫓]がいくつもある(略)。住民は非常に暑い夜には蚊を避けるために夜具を持って上がる[とのことである]」(金坂清則訳『完訳日本奥地紀行』)。
 この櫓には、蚊避けと同時に、若者仲間の寝宿としての意味合いもあったようだ。黒石にほど近い、田舎館村の明治10(1877)年生まれの男性は、床下13尺(約4㍍)以上もある櫓の上で10人近くもの若者たちが雑魚寝をして夏を過ごしたという話を書き残している。
 さて、高い所に蚊は飛んで来ないというのは本当か。昆虫に詳しい、山内智・元当館学芸課長に尋ねたところ「基本的な生活圏は地表近く」というが、残念ながら「かなりの高さまで飛んでくる」とのことであった。
 写真:点在する村々にそびえ立つ櫓(当館蔵『外濱奇勝』より)
※この記事は2017年8月 3日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 増田公寧


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