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[コメント] 2019-06-03 14:24

ふるさとの物語 第111回 石錘(せきすい) ~縄文時代の漁具か~

ふるさとの物語 第111回 石錘(せきすい) ~縄文時代の漁具か~

 石錘は、大きさ5~10センチの扁平な楕円形や円形の石の両端をえぐるように加工された石器である。重さは160~200グラム前後。主に縄文時代早期の遺跡からまとまって出土するのが特徴。
 写真左は、縄文時代早期中葉(約1万~8500年前)の集落跡である東通村下田代納屋遺跡から出土した石錘52点のひとつである。
石錘は縄文時代の漁労に用いられた道具と考えられている。えぐり部分にひもをかけて網の「おもり」として使われたものと想定される。当館では北方民族誌事例等から、仕掛け網や地引き網にぶら下げるおもりとして再現している(写真右)。ちなみに投網には、土器片や木製の軽いおもりが使われていたことが考えられる。
 下田代納屋遺跡は太平洋に面した砂丘地帯にあり、海までは直線で約400メートル。遺跡には住居跡や屋外炉があり、煮炊きの痕跡がある尖底土器も多い。
 現在より温暖な気候であったこの頃、縄文人はこの道具を使い、どのような海の幸を捕獲し食していたのだろうか。

※この記事は2019年5月30日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館主任学芸主査 杉野森淳子

[コメント] 2019-05-30 13:34

ふるさとの物語 第110回 水の神スイコ様 ~水難事故防止を願う~

ふるさとの物語 第110回 水の神スイコ様 ~水難事故防止を願う~

 「スイコ(水虎)様」「メドチ」「メントチ」などと呼ばれる水の神様または魔物は、江戸時代から県内各地に出没したと伝えられ、人々は畏怖してきた。
津軽平野の新田地帯であるつがる市を流れる古田川沿いでは、今もなお、複数のスイコ様が水神様として祀られ、毎年7月20日になると、お祀りしている家々や各集落の人々が、スイコ様の小さな祠の前に集まって供物をする。
 なぜスイコ様を拝むのだろうか。それは昔、近くの古田川や赤川では、よく子供達が川遊びをしたそうだが、毎年のように水難事故が起こり、原因は「魔物であるカッパ(メントチ)がひっぱるからだ」といわれた。よってそれを鎮めるために水神様であるスイコ様を祀ったのだという。
 さらに現地調査では、地元の方から興味深い伝承をお聞きした。かつては、子供が生まれると、メントチに取られないよう、「ヨシコ」などのように、本名とは別のあだ名である「メントチナメ(名前)」を付けることが少なくなかったというのだ。しかし学校へ通うときは本名を使ったという。
 これは、前近代において、名前はその人の霊魂と深く結びついているため、実名を公にすることを忌んだ習俗との関わりも考えなくてはならないだろう。

※画像:スイコ様の宵宮(つがる市、2018年7月20日、筆者撮影)
※この記事は2019年5月23日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館主任学芸主査 小山隆秀

[コメント] 2019-05-30 13:34

ふるさとの物語 第109回 加藤武夫の県版画会展ポスター ~今も伝わる普及への情熱~

ふるさとの物語 第109回 加藤武夫の県版画会展ポスター ~今も伝わる普及への情熱~

 加藤武夫(1930~2012年)は、青森市出身の版画家で、長寿林檎樹(ちょうじゅりんごじゅ)シリーズや愛らしいこけしをテーマにした美しい色彩の木版画作品を見たことがある人も多いだろう。本欄でも、何度か作品を紹介してきた青森県を代表する版画家の一人である。
 昨年、一風変わった加藤の手描きの作品が新たに当館資料に加わった。「第10回県版画会展のポスター」である。同展は、昭和54年(1979)8月17日から5日にわたり青森市民美術館で開かれた。加藤は当時、青森県版画会の事務局を務めていた。このポスターは、加藤が自ら描き、道行く人の目にとまるように掲示してほしいと知人のもとに持ち込んだものである。
 役目を終えた手描きのポスターは、今まで40年間大切に保管されてきた。加藤は、同会版画誌『青森版画』の編集や展覧会の開催などに長く携わった。版画作品を1枚1枚貼り込むという地道な版画誌作りは、彼自身の版画制作への熱い思いと、こころざしを同じくし真摯に制作に取り組む同人たちに支えられた。さらに、中央で活躍する棟方志功の存在も大きかった。
 ポスター画面中央に描かれているのは、棟方が提供した同会のバッチの図案である。くちばしの根元にある突起を特徴的に描いた海鳥ウトウの図案、親鳥がひな鳥を背に乗せるモチーフは、「善知鳥版画巻(うとうはんがかん)」の一場面を思い起こさせる。棟方は、同誌に作品を寄せるだけでなく、表紙画のデザインなどその活動への協力を惜しまなかった。版画普及にかける二人の情熱を、年月を経ても色あせることなく伝えている手描きのポスターである。

※画像:加藤武夫作ポスター(1979年作、県立郷土館蔵)
※この記事は2019年5月16日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館主任学芸主査 太田原慶子

[コメント] 2019-05-30 13:33

ふるさとの物語 第108回 鳥瞰図「十和田湖名所図会」 ~景勝地をびっしり表記~

ふるさとの物語 第108回 鳥瞰図「十和田湖名所図会」 ~景勝地をびっしり表記~

 写真は、金子常光の筆によって描かれ、1925(大正14)年に日本名所図会社から印刷・発行された『十和田湖名所図会』のうち、十和田湖の部分である。金子常光は、吉田初三郎の弟子の一人であり、師とともに『鉄道旅行案内』等の作品の製作にあたったが、小山修三らとともに師のもとを離れ、独自の鳥瞰図を描いた。
 初三郎に先駆けて、大正末頃から東北地方各地の図を描き、太平洋戦争開戦の頃まで作品を残している。なお、初三郎も昭和1933(昭和8)年に十和田湖の鳥瞰図を発行している。
さて、この常光の鳥瞰図は、湖を大きく描き、風景を詳細に描いている。湖の中には、「エビスシマ」「カブトイワ」など、島や岩の名前がびっしりと表記されている。このような地名の表記は、中湖から中山半島にかけての場所にもっとも集中しており、白い点線で表される遊覧船の航路は、これらの場所周辺を通過しているのがわかる。これらは、戦前の絵葉書にもよく取り上げられる場所であり、それぞれが景勝地として認識されていたことがよくわかる。
 遊覧船の船頭も、このような名所を案内しながら回ったのだろうか?

※画像:金子常光の鳥瞰図「十和田湖名所図会」(1925年)の一部
※この記事は2019年5月9日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館学芸主幹 佐藤良宜

[コメント] 2019-05-30 13:32

ふるさとの物語 第107回 小川原湖と化石 ~大昔 トラやゾウ生息~

ふるさとの物語 第107回 小川原湖と化石 ~大昔 トラやゾウ生息~

 上北地方にある小川原湖では、シジミ漁が盛んである。1998(平成10)年、この漁をしていた漁師が、シジミと一緒に大きな牙がついた顎の一部の化石を引き上げた。湖底から上がったことから、アザラシやオットセイのような海獣のものではないかと当館に連絡がきた。実物を見て牙の大きさに驚いたが、たまたま当館の収蔵庫にあったトラの剥製に目がいき、大きく開いた口から見える牙や臼歯と比較したところ、よく似ていた。専門の研究者に確認してもらったところ、大型ネコ科動物の左下顎骨であることがわかり、トラと考えられるということであった。
 小川原湖の南西岸近くの崖からは、1962(昭和36)年に水路の工事中にナウマンゾウの臼歯化石が発見されている。化石には、スコップがあたった際にできた大きな傷がついている。
 どちらの化石もはっきりとした年代はわかっていないが、十数万~数万年前のものと考えられ、その頃の青森にはトラやゾウが生息していたことを教えてくれる。これらの化石は、東北町歴史民俗資料館に保管・展示されているほか、当館でもレプリカを展示している。小川原湖やその周辺からは、まだまだ多くの動物化石が発見される可能性がある。

※画像:左 小川原湖から産出したトラ左下顎骨化石複製(県立郷土館蔵)
    右 小川原湖南西部(県防災ヘリから撮影)
※この記事は2019年5月2日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館学芸課副課長 島口 天


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