◆あおもり見る知る掲示板 ヘルプ

1 / 10 ページ ( 1 ~ 5|48件 )

[コメント] 2019-03-15 10:32

No.197 あおもりの物語 第100回「二ッ森貝塚」~身近な「縄文」刻み込む~

あおもりの物語 第100回「二ッ森貝塚」~身近な「縄文」刻み込む~

青森県は、偉大な板画家「棟方志功」を生み出した地であり、版画に関心が高く、小学校においても版画教育が盛んに行われている。この作品は、七戸町の天間東小学校平成8年度卒業生(当時、筆者が担任)が、卒業記念として制作した共同版画で、町内の榎林郵便局前に展示されている。制作にあたっては、図工教育、特に版画教育に造詣の深い高山貞行先生に指導していただいた。当時行われていた発掘調査の様子「二ッ森貝塚―遺跡発掘―」と連作である。
「二ッ森貝塚」(七戸町貝塚)は、小川原湖西岸の標高約30mの台地に立地し、縄文時代前期前葉から縄文時代中期末葉(紀元前3,500年~紀元前2,000年頃)の大規模な貝塚を伴う集落遺跡である。はるか1万年前、長い氷河期が終わりを迎え、地球は次第に温暖化し現在の気温より2度高かった。それにより、極地の厚い氷が解けて小川原湖が海とつながったことで、そこに住む縄文人は様々な魚介類を採集して生活したことがうかがえる。地名の通り学区に貝塚があり、土器の破片や貝塚は子どもたちにとって身近なものだった。歴史の学習の中で地域の縄文遺跡についても学び、縄文時代の人々の営みに思いをはせて制作したものである。
地域に愛される縄文遺跡群の世界遺産登録を心から期待している。

※図版:「二ッ森貝塚―昔のくらしー」平成8年度七戸町天間東小学校卒業生制作
※この記事は2019年3月14日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 中村理香

[コメント] 2019-03-15 10:30

No.196 ふるさとの物語 第99回「めでたい名前のコケ」~「万年」「不老」お守りにも~

ふるさとの物語 第99回「めでたい名前のコケ」~「万年」「不老」お守りにも~

コケ植物は、見たところ小さくはかない植物に見えるが、それに反して万年草(ぐさ)とか不老草(そう)と、長寿でめでたい名前で呼ばれるものがある。コウヤノマンネングサ(写真①)とフジノマンネングサ(写真②)、それにフロウソウ(写真③)がそれである。
 コウヤノマンネングサのコウヤは、高野山のことで、昔から高野山ではこのコケを乾かして箱に入れ、お守りとして信者に授与する習わしがあったと、ものの本に書かれている。また、夏の夜店では水中花といって水に入れるとぱっと花と葉が開く涼しげなお土産が売っていて、これの葉の部分がコウヤノマンネングサだという。
 コウヤノマンネングサは太い地下茎を横に伸ばし、その先から立ち上がった茎は、小さな樹木のように枝を分け、高さが10センチほどの美しいコケになる。乾かして何十年もたったものでも、水に入れるとたちまち元の姿になるところから万年草の名前がついた。
 よく似たフジノマンネングサは、その名を富士山からいただいて、枝葉を一層細かく分けた繊細な姿のコケ植物だ。両者は、県内でも深い山奥にまれに生えていて、出会ったときの喜びは大きい。
 さて、もう一つのフロウソウは、身近にあるコケである。コウヤノマンネングサと近縁な種類なので、大きく育つとそっくりな姿となる(写真④)。湿ったところが好きなので、田んぼの畦(あぜ)や雨水のたまる芝生や草むらに普通に見られる。最近はテラリウムなどにコケを使うことも多いと思うが、名前といい、姿といい、フロウソウはうってつけのコケだろう。

※この記事は2019年3月7日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:投稿者 学芸課 太田正文

[コメント] 2019-03-15 10:29

No.195 ふるさとの物語 第98回「風韻堂・続縄文土器」~興味そそる独特さ~

ふるさとの物語 第98回「風韻堂・続縄文土器」~興味そそる独特さ~

本州に稲作中心の弥生文化が栄えていた頃、北海道は縄文時代と同様に狩猟・採集を生業とする続縄文文化であった。この時期の続縄文土器は北海道だけでなく、本州でも発見されている。特に弥生時代後期にはその分布が広く、新潟県まで及ぶ。県内では下北半島や津軽半島に多く、馬淵川流域や津軽平野でも確認されている。
写真はむつ市関根で発見された続縄文土器である。4、5世紀に作られた後北(こうほく)式と呼ばれる土器で、微隆起による幾何学的な文様に連続した細かい刺突文を組み合わせるのが特徴。写真の土器はよく見ると部分的に赤く彩られ、形も特異である。
資料保護ため、この4月から写真とは反対側を正面にして風韻堂展示室で公開している。
この土器は各展示室に設置しているQRコードによる解説の中で、最もアクセス数が多く3桁を越えている。
この独特の雰囲気が続縄文土器への関心を抱かせているのだろうか。

※写真:むつ市関根で発見された続縄文土器(風韻堂コレクション)
※この記事は2019年2月28日付東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 杉野森淳子

[コメント] 2019-03-15 10:28

No.194 ふるさとの物語 第97回「山の神を迎える家」~お膳振る舞いすぐ帰す~

ふるさとの物語 第97回「山の神を迎える家」~お膳振る舞いすぐ帰す~

古くから人々は、山海に偉大な神霊の存在を感じてきた。そのなかでも山の神は、12月12日が命日(祭日)であり、3月に田へ下りて稲作を守り、9月29日に山へ戻るという伝承が県内各地にある。しかし12月31日の大晦日だけ家に入り、すぐ帰る山の神もいる。
弘前市のある旧家では、大晦日の夜に玄関を開けて戸主が「どうぞお入りください」と姿無き「山の神」を迎え、座敷で二つのお膳を振る舞い、すぐさま玄関から帰す行事を代々伝承してきた。
同様の行事は、県内では9例を確認しているが、来訪する神々は他にも、疱瘡(ほうそう)神、風邪神、麻疹(はしか)神、年神など様々である(拙稿『来訪する神々』)。同様の行事は全国的にも少なく大変貴重だが、たいていは病魔をもたらす厄神であるらしい。東京都小平市でも、節分の夜に同じような行事をする旧家があり、豆まきをせずに「鬼」を家へ招き入れて供物をする。
いずれにせよ、日本列島の人々は、一年の節目となる時期には、年神や福の神と一緒に招かれざる魔もやってくるので、それらを歓待することで災厄から免れようとしたのではないか。

※写真:大みそかに山の神を迎える(2007年、弘前市小野家)筆者撮影
※この記事は2019年2月21日付東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 小山隆秀

[コメント] 2019-03-15 10:26

No.193 ふるさとの物語 第96回「昭和前期の舞台背景」~川辺の物語 膨らむ想像~

ふるさとの物語 第96回「昭和前期の舞台背景」~川辺の物語 膨らむ想像~

郷土館では、年に数回、県内各地の美術館博物館などと連携協力して展示会を開催し、資料公開活用の機会を増やす事業を行っている。展示会場としては、資料の公開に必要な環境(温湿度の管理など)が整っていることが条件になるが、連携先とテーマや資料の選定について検討したり、各方面の方々といろいろな角度からとりあげたりすることで、それまでに得ることができなかった情報に出会うこともある。郷土館にとっても資料の見方、とらえ方を再確認する良い機会にもなっている。
 この舞台背景画は、昨年秋、リンクステーション青森(2階展示室)で開催した「あおもり文化とアート展」に出品した、戦後まもなくの青森市内の劇場で使われていたものである。その折、青森市の演劇関係、演劇文化に詳しい方々と情報交換する機会を得ることができた。
 この背景画は広げると、高さは3メートル、幅は7メートルを超えるが、何よりも色の鮮やかさに圧倒される。空と川の青色が印象的である。川向こうに建ち並ぶ建物の窓からは、人々の話し声や笑い声さえも聞こえてきそうで、川面には街灯の明かりが揺れている。橋を渡って来る人を待つ物語か、渡っていく人を見送る物語か。どんな台詞が響いていたのか、想像が膨らむ。
 昭和20年代、青森市の堤橋近くに劇場(東部劇場、のちに国際劇場)があったという。ここを拠点に大衆演劇を展開し人気を博したのが「浦部玉枝(うらべたまえ)劇団」だった。浦部劇団の結成は戦前に遡るが、県内各地、北海道も巡業した劇団だったらしい。昭和前期の青森の人々に親しまれた娯楽を伝える貴重な資料である。もう一つ、描いたのは誰なのか、興味はつきない。今後新しい情報に出会えることも期待している。

※写真:※舞台背景画 制作者・制作年不明(県立郷土館蔵)
※この記事は2019年2月14日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 太田原慶子


ページの先頭へ戻る