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[コメント] 2017-09-25 09:36

No.114 ふるさとの物語 第20回 「蓑虫山人の暗門の滝」~考え、思い自由に描く~

ふるさとの物語 第20回 「蓑虫山人の暗門の滝」~考え、思い自由に描く~

放浪の画人蓑虫山人(みのむしさんじん、1836~1900年)が描いた暗門の滝(西目屋村)である。他に岩木川の源流から河口までの景観を横に展開して描いた巻物もある。
彼は、江戸末期の美濃国(現在の岐阜県)に生まれ、十代半ばに故郷を出て生涯の大半を旅に費やした。本県にやって来たのは、明治11年頃、そして約10年間、下北・津軽地方を中心に滞在している。
県内に残されている作品には、一般的な山水花鳥画風のものも多いが、彼の作品の面白さは、実景や実物に向き合い、自分の考えや思いを自由に描いた作品群にあるだろう。そうした作品からは、当時の自然環境や人々の生活の様子とともに、彼自身が周囲の人々とどんな話をし、何をしようとしていたのか推察できるような貴重な情報を与えてくれる。
本図は、制作年代は分からないが、彼の画人としての技量の確かさを窺わせる作品の一つだろう。先に述べた岩木川流域をたどった巻物とあわせて考えれば、源流から流れをたどって歩き、写生スケッチを重ねて描きあげた作品なのかもしれない。その背景には、学者であり優れた画人でもあった平尾魯仙(ひらおろせん、1808~1880年)や弟子達との交流があった。その関わりは、旅の生活を支えた画業を研く上でも、魅力的かつ刺激的であったに違いない。

図:蓑虫山人筆「暗門山三面瀑之図」紙本淡彩 県立郷土館蔵
※この記事は2017年8月17日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 太田原 慶子

[コメント] 2017-09-25 09:35

No.113 ふるさとの物語 第19回 「ゴイサギ」~律令制度の位に由来~

ふるさとの物語 第19回 「ゴイサギ」~律令制度の位に由来~

この鳥はゴイサギという。ペリカン目サギ科ゴイサギ属に分類されている。本州では一年中生息・繁殖する留鳥として扱われることが多いが、青森県では夏に飛来する夏鳥である。夜行性で動物食、樹上にコロニー(集団繁殖地)をつくる。
 初めてゴイサギのコロニーを見たのは岩木川にかかる三好橋(つがる市)の近くだった。遠目に見たので、木の上にたくさんのペンギンが止まっているように見えてびっくりしたことを覚えている。ゴイサギは他のサギやカワウなどとも共同のコロニーを作ることでも知られている。実際、次の年にカワウと共同のコロニーを形成しているのを確認した。
 このゴイサギは、漢字で書くと「五位鷺」となる。この五位は「正五位」であり、律令制度における位(くらい)の一つである。平家物語の中に「醍醐天皇が鷺を捕まえるよう命じたところ、逃げようとしたため、天皇の命令であることを告げるとその鷺はおとなしく捕まったためその鷺は五位の位を賜った」という話がある。それが和名のもとになっているそうである。

写真:青森市浪岡で撮影されたゴイサギと幼鳥 (県立郷土館蔵「對馬隆コレクション」より
※この記事は2017年8月10日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 豊田 雅彦

[コメント] 2017-08-05 11:03

No.112 ふるさとの物語 第18回 「蚊よけの櫓(やぐら)」~若者たちの雑魚寝の場~

ふるさとの物語 第18回 「蚊よけの櫓(やぐら)」~若者たちの雑魚寝の場~

今から221年前、寛政8年7月3日(1796年8月5日)の夕暮れ。木造(つがる市)を訪れた紀行家・菅江真澄は、村々にそびえ立つ櫓を目にした(写真)。見上げると村の若者たちが、高い木の梢に組まれた櫓の上で過ごしている。聞けば「蚊から逃れるため」だという(『外濱奇勝』)。
 かつて津軽地方には、「蚊よけの櫓」を組み、そこで寝起きする習俗があった。英国の紀行家・イザベラ・バードも、明治11(1878)年8月5日、黒石で同様の光景を見ている。 「高さ二○~二五フィート[六~七・五㍍]の数本の柱で支えられた屋根のある四角い台[櫓]がいくつもある(略)。住民は非常に暑い夜には蚊を避けるために夜具を持って上がる[とのことである]」(金坂清則訳『完訳日本奥地紀行』)。
 この櫓には、蚊避けと同時に、若者仲間の寝宿としての意味合いもあったようだ。黒石にほど近い、田舎館村の明治10(1877)年生まれの男性は、床下13尺(約4㍍)以上もある櫓の上で10人近くもの若者たちが雑魚寝をして夏を過ごしたという話を書き残している。
 さて、高い所に蚊は飛んで来ないというのは本当か。昆虫に詳しい、山内智・元当館学芸課長に尋ねたところ「基本的な生活圏は地表近く」というが、残念ながら「かなりの高さまで飛んでくる」とのことであった。
 
写真:点在する村々にそびえ立つ櫓(当館蔵『外濱奇勝』より)
※この記事は2017年8月 3日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 増田公寧

[コメント] 2017-08-05 11:02

No.111 ふるさとの物語 第17回 「イルカの参詣」~人にも勝る信心深さ~

ふるさとの物語 第17回 「イルカの参詣」~人にも勝る信心深さ~

 青森市街の東側を流れる堤川は、作家太宰治が旧制青森中学校への登校途中、橋の欄干へもたれかかってぼんやりした「墨田川に似た広い川」(思ひ出)であり、現在は国道4号がこの川に架かる堤橋を通る。
 橋の周辺から川下は東西往来の渡し場となり、海からの舟の出入りもあって、古くから人々が集まる町場であった。異類のものも出入りしていたらしい。
 現在、堤橋の東岸にある諏訪神社は、1872(明治5)年の大火で被災する前は、河口付近の中洲に鎮座しており、ここにイルカがお参りすると言われていた。10~20頭のイルカの群れが月始めか月末ごろになると、上磯方面から浮きつ沈みつして堤川口に入り、参詣するのだという。
1786(天明6)年の「津軽俗説選」(工藤白龍著)に記録があり、著者は人にも勝るイルカの信心深さを褒めている。
 日本民俗学を確立した柳田國男は、晩年の著書「海上の道」において、老年となってもなお関心が消えない問題の一つとして「海豚参詣」の伝承をあげ、この伝承を分類して日本人の海の彼方との心の行き通いを探求することが願いであると述べた。「諏訪さま」へのイルカの参詣を柳田は気に掛けていたに違いない。 
 
写真:諏訪神社の拝殿にある、イルカが描かれた奉納額
※この記事は2017年7月27日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 古川 実

[コメント] 2017-08-05 11:01

No.110 ふるさとの物語 第16回 「ショウジョウトンボ」~池のぬし?漂う風格~

ふるさとの物語 第16回 「ショウジョウトンボ」~池のぬし?漂う風格~

赤いトンボと言うと,ほとんどの人が成熟すると赤色に変色するアキアカネを連想する.しかし,トンボの研究者は必ず代表の一種にショウジョウトンボを上げる.
 ショウジョウトンボは,河川沿いなどの池沼、湿地等生息している.体長が約45ミリメートル前後で,腹部が幾分太身である.同じ赤色のアキアカネより大きく見える.六月下旬から八月下旬まで成虫が見られる.未成熟の成虫は雌雄とも橙黄色であるが,成熟すると雄は赤色,雌は茶褐色に体色が変わる.雄の赤色は大変鮮やかで,その姿から,鮮やかな深い紅色を意味する猩々緋から名前が作られたと言われている.
 ショウジョウトンボは日本全土に分布する.しかし,青森県で以前は普通に池沼に生息していたが,近年個体数,生息地ともに減
少し.絶滅が危惧される事から,青森県版RDBではCランク(希少野生生物)に指定された.保護を要するトンボである.
 最近,河川沿いの池で久しぶりにショウジョウトンボを見ることができた.赤い雄が水面上を低空飛翔しては岸辺から池に張り出した枯れ茎に戻ってくる.縄張り行動が見られた.飛翔は素早く,その動きは機敏である,鮮やかな赤色がよく目立つため,見ていても飽きることなく目で追いかけていた.同じ赤色のアキアカネより,風格のあるトンボで,池のぬしのようであった. 
 
写真:ショウジョウトンボの雄
※この記事は2017年6月15日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 山内 智


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