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[コメント] 2017-02-06 13:17

No.76 ふるさとの宝物 第176回 戦地からの手紙

ふるさとの宝物 第176回 戦地からの手紙

青森県立郷土館には約10万点の収蔵資料がある。資料は様々な形で当館に収蔵されるが、そのほとんどが県民の皆様からの善意の寄贈である。
写真に写っているのは戦地から届いたはがきである。半分以上は寄贈者がアンチャンと慕う叔父が戦地から送った物である。資料を受け取りに自宅に伺った際、寄贈者からアンチャンと一緒に松木屋に買い物に行った思い出話をはじめ、当時の話を聞くことが出来た。アンチャンからのはがきの内容は、お土産は何がいいか、先生の言うことを聞いて勉強しなさい、写真が届いて嬉しかった、満州にも緑の草が生えてきた等である。残念ながらアンチャンは昭和20年6月30日にフィリピンで戦死している。
昨年度の青森県立郷土館研究紀要で、これらの手紙を元に原稿を書いた。原稿が仕上がったあと、寄贈者に原稿を届けに行った。「アンチャンのこと本にしてくれるって、良かったねぇ」と寄贈者はアンチャンの遺影に話しかけていた。いよいよ研究紀要が製本され、本を届けに行ったときは「寝る前に時々(原稿を)読んでらんだ。アンチャンのこと思い出して。」と、おっしゃってくれた。私の文章はほんの数ページだが、喜んでもらい、嬉しかった。
資料について使用者の思い出や詳細な情報が手に入ることは少ないが、こうして形として残らない人の思いを保存していくのも博物館の仕事の一つであると考えている。

※ この記事は2016年12月15日付け東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 伊藤啓祐

[コメント] 2017-02-06 13:18

No.77 ふるさとの宝物 第177回 歴史展示室のスキー

ふるさとの宝物 第177回 歴史展示室のスキー

歴史展示室にあるこのスキー板は、昭和30年代のものでスキー靴用の金具と滑走面には金属のエッジがついている。当時は、この他にもエッジがなくゴム長靴を固定する締め具がついただけのものも多くあり、雪国の遊び道具の一つであった。
日本における近代スキーは、1911(明治44)年オーストリアのテオドール・エドレル・フォン・レルヒ少佐が、現在の上越市高田で将校らにスキーを教えたことが始まりとされている。しかし、それ以前にこの青森でスキーに乗った人物はいた。
1904(明治37)年、野辺地の豪商野村治三郎がノルウェーから2本のスキーを輸入し試乗したとされる。また、1909(明治42)年には八甲田での雪中行軍遭難を知ったノルウェーから軍用に役立てるようにと陸軍にスキーが贈られ弘前第八師団の将校がこのスキーに乗り試行錯誤したという。
結果的にスキー技術の確立とまでには至らなかったが、もし、この時点でなんらかの成果が得られていれば、近代日本のスキーの始まりは青森から、となっていたかもしれない。

(写真解説)歴史展示室のスキー板。カンダハー式の金具と、滑走面には金属のエッジが付いている。

※ この記事は2016年12月22日付け東奥日報朝刊に掲載されました。

投稿者:学芸課 福士 道太

[コメント] 2017-02-06 13:19

No.78 ふるさとの宝物 第178回 今純三『蕪島の海猫』

ふるさとの宝物 第178回 今純三『蕪島の海猫』

2016年も残すところあと数日となった。今年の終わりにふさわしい資料はないかと思い、過去の当館展示会の図録をめくっていた。その手を止めたのがこの作品である。
この作品作者は弘前市出身の今純三(1893~1944)だ。所狭しとひしめく海猫の群れとその飛び交うさま、奥へと連なる岩肌の粗い陰影が、繁殖期の蕪島のざわめきをよく伝えている。静かで整った構図の多い純三の作品の中にあって、異色の一枚である。
蕪島というと、昨年11月に神社を襲ったあの火災が思い起こされる。ニュースの後、現場へ足を運んだが、間違いなくそこに社殿は無かった。高校時代までを八戸で過ごした筆者は、かつてあったものの面影をしばし眼でなぞった。
今年は海猫達が再び飛来するか危惧されていたが、変わらず彼らはやってきた。戻るべき場所を見失ってはいなかったらしい。来年もまた、島の空白をにぎやかに埋めにきてくれることを願う。

※ この記事は2016年12月29日付け東奥日報朝刊に掲載されました。

投稿者:学芸課 和山 大輔

[コメント] 2017-02-15 09:44

No.82 ふるさとの宝物 第182回 県の鳥「ハクチョウ」

ふるさとの宝物 第182回 県の鳥「ハクチョウ」

 青森県の鳥は「ハクチョウ」だ。青森県に飛来するハクチョウは主に「オオハクチョウ」と「コハクチョウ」で、この2種を含めて県の鳥「ハクチョウ」としている。
この2種の他にくちばし上部にコブのあるコブハクチョウもみられることがある。コブハクチョウはもともと日本には分布していない外来種で、公園・動物園などに飼い鳥としてヨーロッパから移入・飼育されたものだ。それが野生化・半野生化し繁殖している。
 オオハクチョウ・コハクチョウに話を戻す。ともに冬鳥で、日本には秋から冬にかけ飛来し、春になると北へと去っていく。夏はユーラシア大陸北部、シベリアなどで繁殖する。冬になるとその厳しい寒さを避けるため日本へやってくるのだ。オオハクチョウ・コハクチョウにとって本県の冬が過ごしやすい場所であることを考えるとシベリアの冬がどれだけ厳しいのかがうかがえる。
 自然展示室のジオラマ「冬 白鳥の訪れ」のモデルとなっているのは、国指定の特別天然記念物となっている平内町の「小湊のハクチョウ及びその渡来地」である。 

写真:自然展示室のジオラマ「冬 白鳥の訪れ」

※ この記事は2017年2月2日付け東奥日報朝刊に掲載されました。

投稿者:学芸課 豊田 雅彦

[コメント] 2017-02-15 09:45

No.83 ふるさとの宝物 第183回 羽仁もと子著作集

ふるさとの宝物 第183回 羽仁もと子著作集

理想の家庭や教育を目指して雑誌を創刊、また教育家としても活躍した八戸市出身の羽仁もと子(1873~1957年)は、教育熱心な家で育った。16歳で上京、明治女学校などで学び、新聞社に就職して女性新聞記者の草分け的存在となった。そして、職場で出会った羽仁吉一(よしかず)と結婚する。
1903年、二人は、毎日の生活の中から雑誌『婦人之友』の前身である『家庭之友』を生み出した。家事や育児など自分たちの悩みや経験にもとづいたものをとり上げ、合理的な家事労働、効率的な時間の使い方、家計のやりくりを考えるなど、現代の私たちにとっても興味深い内容が多い。
羽仁もと子著作集は、『婦人之友』創刊25年を記念して刊行された。刊行について、もと子は、自分の経験や言葉から、読者それぞれがより一層のすぐれた考えと生活とをつくり出してほしいと述べる(第二巻「巻頭のことば」)。
内容だけでなく、装丁も魅力的である。朱色の布地に一冊ずつ異なる植物や鳥の絵がほどこされている。描いたのは、吉一と旧知の間柄だったという秋田県出身の日本画家平福百穂(ひらふくひゃくすい、1877~1993年)である。百穂は、初期の『婦人之友』の表紙画も長く手がけたことで知られている。

※ この記事は2017年2月9日付け東奥日報朝刊に掲載されました。

投稿者:学芸課 太田原慶子


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