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[コメント] 2017-05-01 09:51

No.97 ふるさとの物語 第4回「ムシ送り」

ふるさとの物語 第4回「ムシ送り」

 田植えが終わり農休み(サナブリ)になると、津軽地方の各地で虫除けや豊作などを祈願するムシ送りの行事が行われる。岩木川中下流域のムシ送りでは、龍や蛇のようなものを藁で作り、これをムシと呼ぶ。ムシを先頭に太刀振り踊りの人たちや、荒馬などが行列となりムラ中を回り、最後にムシをムラ境の木などに掛ける。ムシはその場所で翌年まで田んぼを見守るとされる。
 十三湖に面する五所川原市相内では、6月第2土曜日がムシ送りの日である。長さ4~5メートルのムシを台車に乗せ、荒馬1人と手綱引き2人、続いて2人1組で踊る太刀振りの順で行列となりムラを回る。太刀振りは、担ぎ太鼓、笛、手振鉦の囃子に合わせ、木の太刀を打ち合いながら、「跳ねろじゃ跳ねろ」などと声を張り上げ踊る。途中、門酒といって、家々から酒や山菜の漬け物、笹餅などが提供されもてなしを受ける。
 きつい農仕事から解放され、一息ついて行われるムシ送りは、ムラにのどかな賑わいをもたらす。

※この記事は2017年4月27日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:古川 実

[コメント] 2017-05-31 16:10

No.99 ふるさとの物語 第5回「チカガワイシカゲガイ」

ふるさとの物語 第5回「チカガワイシカゲガイ」

 むつ市南部に、陸奥湾に流れ込む近川という川がある。国道より西側では、深さ数メートルの谷をつくり、河岸には砂が堆積した約120万年前の地層が見られる。この地層には60種を越える貝の化石が含まれ、これらの貝はすべて海にすむ種類である。このことは、この地層が海底で形成され、それが隆起して陸地になったことを私たちに教えてくれる。
 チカガワイシカゲガイはこの貝化石の中の1種で、近川の名がついたイシカゲガイのなかまである。殻の頂部がとがり、殻表面を放射状に伸びる線状の彫刻(放射肋)の断面が三角形であるといった特徴をもつ。このような殻をもつイシカゲガイは、現在生息していないことから、研究を行った東北大学の小高民夫博士が1950年発表の論文の中で絶滅した種類として命名した。このような新種の化石には、基準となった化石の産地名が付けられることが多く、チカガワイシカゲガイと名付けられた。
 

投稿者:学芸課 島口 天

[コメント] 2017-05-31 16:14

No.100 ふるさとの物語 第6回「ツクバネソウ」

ふるさとの物語 第6回「ツクバネソウ」

むつ市の川内川渓谷には遊歩道があり、自然にふれあいながら散歩をすることができる。川内川渓谷は流紋岩という岩石でできていて、周囲に分布する火山噴出物が固まってできた凝灰岩と合わせ、750万年以上前の「檜川層」と呼ばれている。
 海底火山の活動でできたもので、当時この一帯は海の底だった。下戸ヶ淵橋から見下ろすと、川底に丸い穴がいくつもあいているのが確認できる。これは「おう穴」といい、石が川の流れで回転してあけた穴だ。
 ちょうどこの季節、遊歩道の周りにはムラサキヤシオツツジ、ウワミズザクラ、マイヅルソウ、ユキザサ、チゴユリ、ツクバネソウ、オオタチツボスミレ、オオバキスミレ、ハルネエビネ、ノビネチドリ、ギンランの他、春の草花が咲き誇る。
 タイミングが合えばこれらの花に川内川渓谷で出会えるかもしれない。写真は2年前の5月中旬に川内川渓谷で撮影したツクバネソウだ。名前の由来は羽根突きの羽に見立てたもので、通常は葉が4枚だが、このときは葉が5枚の個体も多く見られた。

投稿者:学芸課 豊田雅彦

[コメント] 2017-05-31 16:15

No.101 ふるさとの物語 第7回「野澤如洋の日本画」

ふるさとの物語 第7回「野澤如洋の日本画」

岩影に集まる鮎、ふとした瞬間に一匹が水面から跳ねあがる、その一瞬が描かれた作品。清流のせせらぎや川面を吹く風、そして生命感、躍動感が伝わってくる。
描いたのは、野澤如(じょ)洋(よう)(1865~1937年)。如洋は、幕末の弘前に生まれ、明治期から昭和初期にかけて活躍した日本画家で、今年は没後80年にあたる。
幼い頃から画才を認められて近隣の画塾に通った。その後、弘前を離れ、自学して研鑽を積んだ。京都を拠点に精力的に活動し、多くの画会に出品、その評価を高めていった。
如洋には、一瞬でモノをとらえる眼力、迷いなく一気に描き上げる動作の俊敏さや度胸が備わっていた。これは、武芸の鍛錬によるものといわれている。
また、好んで馬を描いたことから「馬の如洋」と称されるが、山水、花鳥、人物と画題は多岐に及ぶ。川や湖、海など、「水」を描いた作品にも優れたものが多い。勢いよくしぶきをあげて流れ落ちていく滝、月を映して静かに揺れる湖面、また激しくぶつかり合う波、そして幾重にも重なり広がっていく、ただ波だけの大海の様など、様々な「水」の表現がある。
清流の一場面を切りとった「鮎図」は、如洋の画の魅力を感じる作品の一つといえるだろう。

投稿者:学芸課 太田原慶子

[コメント] 2017-05-31 16:16

No.102 ふるさとの物語 第8回「笠井甚一郎の遺品」

ふるさとの物語 第8回「笠井甚一郎の遺品」

 最近当館に本県出身の旧日本陸軍飛行兵、笠井甚一郎(1901~38)の遺品が寄贈された。彼は、岩木川支流旧十川流域の中川村(現 五所川原市)の生まれである。旧制中学校から陸軍幼年学校に移り、士官学校を経て1926(大正15)年に陸軍少尉として任官、その後所沢飛行学校(埼玉県)・明野飛行学校(茨城県)を経て、1936(昭和11)年に熊谷飛行学校教官兼研究員となり、航空気象の研究にあたった。
 翌年、中国北部への派遣を経て1938年2月はじめに帰国。その直後の2月18日、同僚とともに耐寒訓練のため、大型輸送機で所沢飛行場を出発したが、日光白根山付近で消息を絶った。
 翌月16日、福島県南会津郡檜枝岐村の片貝沢において搭乗した飛行機が発見され、その後彼は、仲間とともに遺体で発見された。機体の中から、ちり紙や地図、機体の壁などに書かれた遺書が発見された。これを書いたのは、笠井と、乗組員の竹沢であった。内容は、同機が不時着して衝突してから7日間の乗組員の様子のほか、墜落の原因と思われる事象、同僚・家族に宛てたメッセージなどであった。衝突の衝撃で腕を骨折、膝を捻挫していたにも関わらず、後世のために役立つ記録を残し、仲間や家族を思いやる気持ちを切々とつづったその遺書は、中央紙を含む各地の新聞に掲載され、多くの国民の感動を呼んだ。郷里の中川村では彼の村葬が営まれ、青森市の松木屋呉服店では、彼の遺品展が開かれた。

投稿者:学芸課 佐藤良宣


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