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[コメント] 2018-06-02 16:28

No.153 ふるさとの物語 第56回「泉山の登拝行事」~ムラの伝統的人生儀礼~

ふるさとの物語 第56回「泉山の登拝行事」~ムラの伝統的人生儀礼~

国道4号を三戸方面に向かうと、剣吉、虎渡あたりから名久井岳が目の前に姿を現す。この山の第2峰には月山奥の院がまつられていて、西麓の三戸町泉山にある月山神社の例大祭のときには、泉山に縁のある7歳から9歳の男の子たちが父親に伴われて、麓の神社から奥の院まで登拝する。
 この行事は男の子がムラの成員となる過程の一つであり、伝統的な人生儀礼をよく伝える重要なものとして、平成9年12月に「泉山の登拝行事」という名称で国の重要無形民俗文化財に指定された。
 指定された年の7月25日、見学のために行事に仲間で参加させていただいた。標高五〇〇メートル程度と聞いていたので、軽い気持ちで付いていったのが失敗であった。
登りは小さい子供にはきつい場所もあり、子供たちを見守りながら山頂を目指した。
奥の院にたどり着くとそれぞれワラジを取り替え、一同揃ったところで神事が行われた。そして直会(なおらい)となったが、大人たちは酒の献杯、返杯の応酬となった。お神酒なので断れない。
 大人たちの下山は酔いが回り体がだるく苦しそうであった。子供たちはもう山に慣れたのか、身軽に降りて行ってしまった。

写真:男の子が父親に伴われて登拝する「泉山月山初登り」(青森県史編さん資料)
※この記事は2018年4月26日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館副館長 古川 実

[コメント] 2018-06-02 16:27

No.152 ふるさとの物語 第55回「深浦の観音巡り」~古くから信仰を集める~

ふるさとの物語 第55回「深浦の観音巡り」~古くから信仰を集める~

2年前の5月中ごろに深浦町の見入山観音堂から春光山円覚寺へと観音巡りをした。日本海に注ぐ追良瀬川に沿って山間に向かうと川の両岸に岩山が見えてきて、まもなくすると見入山観音堂への登り口に着いた。
金剛杖を借りて参道を上がり下がりしていくと、岩窟にはめこまれたお堂が突然現れた。京都清水寺のミニチュアのような舞台造りであるが、下から見上げると岩壁が迫ってきて厳しさがあり、たしかに修験の行場であった。
 翌日の昼前には、深浦浜町の円覚寺にお参りした。深浦港はかつては北前船の係留地として栄えたところである。海上安全祈願やお礼返しに、水夫たちは必ず円覚寺に参詣したという。
古くから大事に守られてきた寺と、長い年月を経た多様な奉納物などは貴重な文化財であり国指定の文化財も多い。大正生まれの住職が本堂におられたので、津軽三十三観音の話をうかがった。やわらかな日があたっていて、このままずっと居たい気分になった。
 さて、円覚寺御本尊の十一面観音は33年ごとに御開帳となる。今年は御開帳の年で7月17日の大祭に開白(かいびゃく)法要が行われ、31日まで観音様のお姿を拝観できるようである。今から楽しみだ。

写真:見入山観音堂
※この記事は2018年 4月19日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:当館副館長 古川 実

[コメント] 2018-06-02 16:26

No.151 ふるさとの物語 第54回「チャイロスズメバチ」~ほかのハチの巣で子育て~

ふるさとの物語 第54回「チャイロスズメバチ」~ほかのハチの巣で子育て~

ハチと言うと一番に思い出され、名前が出てくるのがキイロスズメバチである。膜翅目の中のスズメバチ科スズメバチ亜科スズメバチ属に所属する。このほかにオオスズメバチ、ヒメスズメバチ、モンスズメバチなど一般に見られる種類と、記録の少ないスズメバチとしてはチャイロスズメバチがある。
 チャイロスズメバチの大きさは女王バチで30ミリ前後で、働きバチ・雄で20ミリ前後。体色がほかのスズメバチと違い、頭と胸が赤褐色、腹部は黒色と、とても特徴的な色彩をしている。北方系の種類で、国内では北海道、中部・関東以北の本州に分布するが、産地は限定され、個体数は少ない。本県では、十二湖、岩木山、黒石市青荷、厚目内、黒森山、平川市などで確認されている。
 ハチは巣を作ると思われているが、実際は巣を作り、餌を運んで子育てする種類は日本産では約20%、残り約80%は巣作りをしない。その中でスズメバチの仲間は巣を作る種類である。この中のチャイロスズメバチは、他のスズメバチの仲間と巣作りの方法がかなり違っている。
 チャイロスズメバチは、屋根裏や樹洞などの閉鎖的な空間に底のない鐘型の巣を作る。女王のみが主に土中で越冬するが、ほかのスズメバチより越冬明けが遅く、5月頃から野外に出てきて、すでに営巣しているモンスズメバチやキイロスズメバチの初期の巣に入り込み、相手の女王を殺して巣を乗っ取る。そして自分の働きバチが羽化するまで、相手の働きバチに子育てと巣作りをさせ、後にはチャイロスズメバチの働きバチだけとなり営巣する。この生態から「社会寄生性スズメバチ」と呼ばれている。
チャイロスズメバチの外皮は硬く、襲われるキイロスズメバチでも噛み切れないくらいである。乗っ取った巣が、狭い空間で、小さい巣しかできないときは、夏により広い閉鎖された場所に引っ越し、再営業することが観察されている。餌はバッタやセミなどの昆虫やクモを捕食するが、熟した柿やブドウなどの果実や樹液にも飛来する。
 チャイロスズメバチは攻撃性が強く、巣に近づくと群れをなして威嚇行動をする。10メートル以上追いかけて刺すこともあるその痛みはスズメバチの中でも一番激しいと言われている。

写真: チャイロスズメバチ(平川市、山田雅輝コレクション)
※この記事は2018年 4月12日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 山内 智

[コメント] 2018-06-02 16:24

No.150 ふるさとの物語 第53回「佐藤雨山」~植物を精密かつ美しく~

ふるさとの物語 第53回「佐藤雨山」~植物を精密かつ美しく~

青森県立郷土館には多くの資料が収蔵されている。特に、自然分野では標本以外の実物資料に準ずる資料(二次資料)も多く。スケッチ、メモ、手紙、古書、論文がある。開館時には、黒石市出身の博物研究者として著名な佐藤雨山(本名耕次郎、1893~1959)のスケッチなど貴重な資料が収蔵された。
 雨山は、植物学、昆虫学、民俗学、郷土史などの研究家。南津軽郡立農学校を卒業後、黒石高等女学校、弘前商工学校、柴田女子高等学校などで教員をした。休日は野山で植物の調査をし、食用植物や薬草に大変造詣が深かった。
 雨山の植物スケッチは、精密で、葉の形、茎の状態、花の作りなど分類の根拠となる部分は特に丁寧に書かれている。さらに水彩で美しく着色されている。写真より特徴がよく分かり、生物をスケッチすることの意味を知ることができる。
その手法は、1冊のみ作る場合は鉛筆で下絵を描き水彩で着色。複数冊を作る場合は植物の輪郭だけをガリ版印刷し、水彩画で1頁ずつ着色する。
 植物研究は県産植物の知識の普及と啓蒙が目的であり、スケッチはその研究手法の一つである。それぞれ詳しい説明が書かれ、大正から昭和時代の県内の植物の分布・生態、食用の可否、さらに当時の分類体系まで知ることができる。植物画ではあるが、研究要素が多くその業績は高い評価を得ている。
 当館収蔵の数点のうち、「津軽雑草図説、畑地・路傍雑草編」(1914年)は、奥付によると金田国民学校農芸部発行の非売品。発行部数は不明だが「69」の通し番号が付いている。およそ150ページでガリ版印刷し、水彩で1ページずつ色づけされている。
 「津軽産 さくら」(44年)は、1冊だけ作ったようで、当時の津軽に見られた桜18点を解説している。特に葉の細密なスケッチが描かれており、表紙の裏に学校園用日誌と書かれている。紙が貴重な時代で、再利用していたのだろう。
 雨山は植物のほか、コオロギやキリギリスなどを飼育し、19年には佐藤耕次郎の本名で昆虫雑誌に寄稿し、スケッチ入りで鳴き方や飼育方法について報告している。

写真  カラスウリ属2種「津軽雑草図説」(1914年) 
※この記事は2018年4月 5日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 山内 智

[コメント] 2018-03-29 11:39

No.149 ふるさとの物語 第52回「県立郷土館旧館」~モダニズム建築の代表~

ふるさとの物語 第52回「県立郷土館旧館」~モダニズム建築の代表~

県立郷土館の建物の一部が国の登録有形文化財に指定(2004年)されているのはご存じだろうか。当館旧館部分は昭和6年、第五十九銀行(現青森銀行)青森支店として建てられた。鉄筋コンクリート造で柱を建物全体のデザインに据えた本県を代表するモダニズム建築である。設計は現青森銀行記念館(弘前市)など県内の洋風建築を多く手がけた堀江佐吉の息子、堀江幸治。1945(昭和20)年青森空襲の際、市内の建物のほとんどが焼失する中、奇跡的に類焼を免れ原形をとどめた。その後建物は県へ寄贈され、1973(昭和48)年開館の県立郷土館の旧館特別展示室(大ホール)として使用され現在に至る。天井の装飾や階段のレリーフなど当時のまま残っており見どころの一つになっている。
 昨年8月からの休館を経て4月1日に再開する当館。改修工事は収蔵庫のみで展示室自体の大きな変更は無いが、新収蔵物やこれまで公開される機会が少なかった物などを今後随時展示していく。新たな発見があるはずだ。

写真:当館旧館特別展示室(大ホール)
※この記事は2018年3月29日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 福士道太


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