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[コメント] 2017-12-09 14:21

No.131 ふるさとの物語 第34回 「佃グラウンド」~戦前 市民が野球楽しむ~

ふるさとの物語 第34回 「佃グラウンド」~戦前 市民が野球楽しむ~

戦前から青森市内では、生徒や社会人によるチームが作られ、市内各所で野球の試合が行われていた様子である。
石村辰之助著『第一勧銀 青森支店の歴史』(昭和61〈1986〉年)によると、1923年(大正12年)にはすでに、青森市内銀行職員による親善草野球が、新浜町公会堂近くの空き地で行われていたという。
その翌年、そういう市民や生徒が、野球を楽しむ場所のひとつとして、1924年(大正13)年に佃野球場(佃グラウンド)が開設された。当時、この場所は青森市の南の境界線を越えてすぐの造道村内に位置していた。1926(昭和2)年、この地域は村名が変わり、浜館村となっている。
写真は、かつての青森県立師範学校の関係者から、40年程前、当館に寄贈された写真のうちの1枚である。師範学校は、佃グランドから比較的近い、現在の青森市花園二丁目にあった。この写真を入れた封筒には、「佃グランド」という文字があった。この写真が撮影された年を知る手がかりはないが、おおよそ昭和戦前期のものかと思われる。
写真に写っている、ベンチ前に集まった選手たちのユニフォームを見ると、どうやら、師範学校の生徒たちではないようである。対戦相手だろうか? 残念ながら、寄贈から長期間を経過しているため、撮影された事情等については、十分に確認できなかった。お心当たりの方は、お知らせ頂ければ幸いである。
佃グラウンドは、戦後の地図では見えない。現在、その跡地は住宅地となっており、その南側には、つくだウェザーパークや青森市立佃小学校がある。

※この記事は2017年11月23日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 佐藤 良宣

[コメント] 2017-12-09 14:20

No.130 ふるさとの物語 第33回 「青森県句集と今純三」~ふるさとへの思い凝縮~

ふるさとの物語 第33回 「青森県句集と今純三」~ふるさとへの思い凝縮~

戦前に発行された俳句誌の口絵に、今純三(1893~1944年)の小さな銅版画作品を見つけた。木々が生い茂る中、渓流に橋がかかる光景である。
この口絵が掲載されているのは、『青森県句集』(第7集、昭和11年)、青森市出身の俳人高松玉麗(たかまつ ぎょくれい 1903~1995年)が中心となり編集された俳句誌である(創刊は昭和5年)。
玉麗は、中央俳壇とはほとんど関わりをもたずに、故郷にこだわって活動した俳人で、『青森県句集』は「自らを生んだふるさとを愛し、俳句を愛して、真に俳句と人生と郷土との一體の凝集の結果」生まれたと記している。創刊当初、当時活躍していた郷土の画家達が表紙や口絵を飾り、一層の郷土味を加えていた。
この小さな渓流の光景は、当館所蔵の純三作品群中にも含まれているが、制作年の記載がなく、いつ、何のために制作したのか詳細がわからなかった。今回、口絵としての存在を確認できたことで、純三が昭和期の本県を代表する俳人らと交流、依頼を受けてこの作品を制作したという背景を伺うことができた。
戦前の青森で、ふるさとを思う人々によって生まれた俳句誌とそこに添えられた口絵、一枚の作品として鑑賞する時とはまた別の、不思議な魅力がある。関わった人々それぞれの思いが込められた貴重な資料と思う。

写真:戦前の『青森県句集』(右から第3集、7集、6集。3集では表紙、6・7集の口絵は今純三 郷土館蔵)
※この記事は2017年11月16日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 大田原 慶子

[コメント] 2017-12-09 14:19

No.129 ふるさとの物語 第32回 「薬研渓流の遊歩道」~森林鉄道の跡を活用~

ふるさとの物語 第32回 「薬研渓流の遊歩道」~森林鉄道の跡を活用~

むつ市大畑町の薬研渓流には1周6キロほどの遊歩道が整備されている。駐車場に車を置き、上流に進んで渓流を楽しんでいるとウグイ滝、大滝の美しい景色が目の前に現れてくる。更に進むと湯ノ股沢川沿いに無料の露天風呂「かっぱの湯」(時間で男女別なので要注意)、大畑川沿いにレストハウス「夫婦かっぱの湯」がある。そこから少し進み奥薬研橋を渡って右に曲がると「大畑ヒバ施業実験林」がある。1953年、全国29の産地のヒバの仲間が植栽され「見本林」「施業林」「保護林」と、それぞれの状態を見ることができる。
この遊歩道は「大畑森林鉄道」のあった場所をそのまま利用している。青森県にはかつて「津軽森林鉄道」「川内森林鉄道」などもあったが、線路が残っているのはここだけである。線路の上を歩いて進んでいくと隧道(ずいどう・トンネル)があり、昭和初期につるはし・ハンマーなどを使って掘られた手掘りの隧道の様子を見ることができる。運が良ければかわいいコウモリに会うこともできる。
 自然以外にも楽しめるとても素晴らしい場所だが、気になることがあった。それは、キク科の植物で環境省の特定外来生物になっている「オオハンゴンソウ」を見かけたことである。繁殖力が高く地下茎でも繁殖できるため、刈り取るだけでは根絶できないやっかいな植物。従来の生態系に大きな影響が出ないか心配なことではある。

写真:薬研渓流の遊歩道に残る線路とヒバ林
※この記事は2017年11月 9日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 豊田 雅彦

[コメント] 2017-12-09 14:17

No.128 ふるさとの物語 第31回 「火砕流台地」~2度の巨大噴火で堆積~

ふるさとの物語 第31回 「火砕流台地」~2度の巨大噴火で堆積~

写真に写っているのは、左下が青森市の雲谷(もや)地区、中央は合子沢(ごうしざわ)地区で、県防災ヘリコプター「しからみ」から撮影した。左上には、南八甲田の峰々がかすんで見えている。
 地形に注目すると、緩やかに傾斜した平坦面を川が浸食して、深い谷が形成されている。左から右下方向に谷をつくって流れているのは合子沢川、右上から下に向かって合子沢川に合流しているのは品ノ沢である。この平坦面は、八甲田火山群の八甲田カルデラから流下した火砕流が厚く堆積してできた火砕流台地で、堤川から駒込川にはさまれた北八甲田の北麓に広がっている。火砕流は、およそ76万年前と40万年前の巨大噴火によって発生し、青森市鶴ヶ坂でも1回目の火砕流堆積物が10mを超える厚さで確認できる。青森平野では、地下にこれらの堆積物が埋もれている。
 巨大噴火によって陥没した地形をカルデラといい、八甲田カルデラの一部は田代平として残っている。

※この記事は2017年11月 2日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 島口 天

[コメント] 2017-11-06 16:04

No.127 ふるさとの物語 第30回 「正津川」~あの世とこの世を結ぶ~

ふるさとの物語 第30回 「正津川」~あの世とこの世を結ぶ~

むつ市恐山の宇曽利山(うそりやま)湖から、海に向かって流れ出すただ一つの川が正津(しょうづ)川である。北流して津軽海峡に注ぐ。
霊場恐山への参詣は、田名部からの道が一般的であるが、船で下北北通りの港に着き正津川沿いをたどるコースもあり、よく使われる道だったという。
 寛政4(1792)年の旧暦10月下旬、菅江真澄は田名部に向かう途中、海岸の正津川村に入り、この川を渡っている。川端には姥堂(うばどう)があって、上流から流れてきた奪衣婆の像を祀っていることや、正津川の古い名を三途(さんず)川というと日記に記した(「牧の冬枯」)。あの世とこの世の渡し口で死者の衣を取りあげて、その者の罪を調べるのが奪衣婆であるが、もう疲れたので、これからは出産を助け病気を防ぐことにしようと、この地に流れ着いたという伝説もあるらしい(『大畑町史』)。
 現在、姥堂は優婆寺(うばじ)となり、女性たちからの厚い信仰を集めている。恐山参詣前の禊ぎ場でもあり、異界への境として意識されてきた面がうかがえる。

写真:恐山の三途川(正津川)
※この記事は2017年9月 7日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 古川 実


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