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[コメント] 2018-08-05 13:19

No.162 ふるさとの物語 第65回「埋設土器」~津軽地域に多い習俗~

ふるさとの物語 第65回「埋設土器」~津軽地域に多い習俗~

遺跡で発見される土器のほとんどは壊れて捨てられたものだが、中には人の手で埋められたものもある。墓に供えられたものや遺体に添えられたものではなく、単独で埋められたものを埋設土器と呼ぶ。縄文時代早期から前期にかけて、日本各地で古い事例が知られ、発祥地は特定できない。屋外に埋められた深鉢形土器からは子どもの骨が見つかることもあり、一般的に乳幼児のと理解されている。博物館の展示品には、底部や側面に穴の開けられた埋設土器をよく見かけるが、実際には加工されたことが明らかな例は少ない。
青森市三内丸山遺跡では900基近くの埋設土器が確認されており、日本で最も土器を埋めることに熱心だったムラといってよい。県内では1700基ほどの埋設土器が知られており、三内丸山遺跡に次いで西目屋村水上(2)遺跡の174基(縄文時代前期から中期)、同村川原平(1)・(4)遺跡の106基(同晩期)が発見数の上位である。どこにでもあるように思われる埋設土器だが、津軽地域に多い習俗のようだ。
写真は、八戸市南郷の荒谷遺跡で発見された埋設土器である。約3千年前の縄文時代晩期に作られた深鉢形土器で、口を上に向けた正立状態で埋められていた。外面に煤(すす)が付着しているため、本来は鍋として使われていたことがわかる。故意に壊された部分はなく、ほぼ完全な形に復元されている。
写真:県立郷土館の発掘調査で出土した埋設土器

※この記事は2018年6月28日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 岡本 洋

[コメント] 2018-08-05 13:18

No.161 ふるさとの物語 第64回「うちわ氷」~冷たい蜜 夏のぜいたく~

ふるさとの物語 第64回「うちわ氷」~冷たい蜜 夏のぜいたく~

旧暦6月1日は氷の朔日。氷や餅を食べ、残る半年の無事を祈る日である。初夏に山の谷間から切り出された天然の氷雪は「病ひを去り(中略)壮健を加ふる効験あり」(『弘前新聞』)として珍重された。暑い夏に冷たい氷を味わうことは、古くからの習わしでありささやかな贅沢と喜びであった。
年配の方の思い出として語られる氷菓子のひとつに「うちわ氷」がある。削った氷を専用の木型に入れて押し固め、蜜(シロップ)をかけた、一種のアイスキャンデーである。チュウチュウと冷たい蜜を吸い取って楽しむのが子どもたちの作法だった。
津軽地方で代々露店商をいとなむ三浦さつ江さん(86)は幼いころ、母が「氷がんな」で一心に氷を削っていた姿を思い出す。幼くして父は戦死。露店商一筋、女手一つで6人きょうだいを育てあげた母が夏に商っていたものが、この「うちわ氷」だった。晴天に恵まれた5月下旬、今年も祭りで氷屋台を営む三浦さんが、70年以上前の昔を偲びつつ、当時の木型を使い再現してくれた。

写真:よみがえった「うちわ氷」。右上はうちわ氷を作る木型。通称「だるまっこ」(三浦さん寄贈、当館所蔵)

※この記事は2018年 6月21日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 増田公寧

[コメント] 2018-08-05 13:17

No.160 ふるさとの物語 第63回 鈴木正治作「遊泳の輪」~彫刻からのぞく湯の島~

ふるさとの物語 第63回 鈴木正治作「遊泳の輪」~彫刻からのぞく湯の島~

浅虫は、海岸沿いに温泉があり昔から観光地として親しまれてきた場所である。浅虫水族館の駐車場に「遊泳の輪」という彫刻がある。これは、浅虫水族館のオープン記念モニュメントとして鈴木正治(1919~2008)によって1983年に制作されたものである。高さ2.5メートル、幅2メートルでアフリカ産の御影石を使用し、台座には地元産の久栗坂石を用いている。大海原を泳ぐ魚の姿を鋭いタッチで表現していて、楕円形をしたフォルムは美しく、中央の直径約80センチの穴から沖合に浮かぶ湯の島が望めるように工夫を凝したという。鈴木正治は青森市出身の美術家で、生前「石は貴重だよ。見るだけじゃなく、触って確かめる彫刻を作りたい。」と語り、数多くの彫刻を制作してきた。青い森公園にある「思い出の像」や八甲通りに置かれた線描彫刻の石版など、県民にもなじみの深い作家である。浅虫を訪れた時には、作者の思いを感じて彫刻に触れ、穴から湯の島をのぞいてみて欲しい。

写真上 鈴木正治の彫刻「遊泳の輪」(県営浅虫水族館所蔵)同下 「遊泳の輪」からのぞく湯の島

※この記事は2018年 6月14日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 中村理香

[コメント] 2018-08-05 13:16

No.159 ふるさとの物語 第62回「ゼニゴケ」~懸命に生きるけなげさ~

ふるさとの物語 第62回「ゼニゴケ」~懸命に生きるけなげさ~

ゼニゴケは、銭というありがたい名前がつく割には、人に嫌われることが多い。庭にはびこるし、鉢植えの下草としては似合わないからだ。
 ではなぜ、名前が銭なのか…。一説には、葉の表面の穴(気室孔)を縁取る細胞の集まりが銭の形に見えるからという(写真①)。銭形平次が投げる穴あき銭に見えないだろうか。
 ところで、ゼニゴケには二種類の株(かぶ)があるのをご存じだろうか。
 一つは、椰子(やし)の木みたいな株(写真② 雌株)と、平らな傘(かさ)のような株(写真③ 雄株)である。椰子の木の葉に見えるところには造卵器があって、中に卵が作られる。一方の平らな傘の上には造精器があって精子が作られる。雄株の平らな造精器が雨のしずくを受けると精子が泳ぎ出し、はね飛ばされて卵と出会い受精する。こんな小さなコケにも、受精に始まる生の営みがあるのだ。
 ところが、ゼニゴケは、もっとしたたかな戦略も持っている。
 それは、すり鉢状の無性芽器に無性芽を大量に作ってばらまく方法だ(写真④)。無性芽はむかごのようなもので、いきなり親植物に成長する。
 普段あまり目に止まらない小さなコケ植物も庭の片隅で懸命に生きていて、そのけなげさに思わず愛らしさを感じるのではないだろうか。

※この記事は2018年6月 7日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 太田正文

[コメント] 2018-06-02 16:37

No.158 ふるさとの物語 第61回「県重宝 尖底土器」~透かし装飾珍しく~

ふるさとの物語 第61回「県重宝 尖底土器」~透かし装飾珍しく~

縄文時代早期中葉(9000~8000年前)の頃には尖底土器が使われ、文様は貝殻を押し当てて描かれた貝殻文が主体である。県重宝の尖底土器は、南方向に名久井岳を望む南部町(旧名川町)森越字館野にて1953(昭和28年)に発見された。早期の土器で県重宝はこの1点のみ。その理由は、県内の尖底土器には類例のない特異な形にある。
底部にごく小さな平坦面があり、胴部上半には段がある。胴部下半には太い粘土紐を帯状に巡らせ、その上には刻み目が施されている。胴部文様は貝殻を横方向に押し引きした沈線文である。口縁部には透かしがあり、これを縁取るように2または3列の刺突文がある。この形は関東地方の早期後半に位置づけられている茅山下層式土器の特徴であるが、透かしの装飾がある土器は全国的にも珍しい。
この土器は4月から考古展示室の「土器の移り変わり」コーナーにて公開している。高さが14センチと小振りであることが、この形を一層際立たせてもいる。

写真:県重宝の尖底土器(県立名久井農業高校所蔵)
※この記事は2018年 5月31日付の東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課 杉野森淳子


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