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[コメント] 2017-03-16 08:38

No.88 郷土館写真散歩―その12―シリーズ顔_2

郷土館写真散歩―その12―シリーズ顔_2

民俗展示室 背景画


















投稿者:彷徨う学芸員

[コメント] 2017-03-27 09:32

No.89 ふるさとの宝物 第186回 古墳時代の須恵器

ふるさとの宝物 第186回 古墳時代の須恵器

 亀ヶ岡式土器が勢揃いする風韻堂展示室には、古墳時代の須恵器が3点展示されている。うち2点は、奈良県柳本古墳群(左)と、岡山県(右)から出土した高坏(たかつき)である。これらを目にした学生の頃、「西日本の資料が何で青森県にあるのだろう」の疑問と共に、本来遠くにある資料をここで見られて得した気分にもなった。
前方後円墳に代表される古墳文化は、西日本一帯に広がり、その影響は東北地方南部まで及んだ。大形古墳や埴輪は、青森県では見つかっていない。
展示の高坏は直径15cm深さ4cmの坏に、高さ10cmの台がついたものである。台には2条の凸帯と上下交互に長方形の透かし孔がある。23年前、この透かしと帯の技法は朝鮮半島の新羅系陶質土器(5世紀後葉~6世紀初頭)の特徴であること、この形の高坏は国内には数少ないことを、当時の学芸員が関西の研究者から伺い、そのことを今でも鮮明に覚えていた。この資料の貴重さを認識した瞬間である。

※ この記事は2017年3月2日付け東奥日報朝刊に掲載しました。

投稿者:学芸課  杉野森 淳子

[コメント] 2017-03-27 09:33

No.90 ふるさとの宝物 第187回 葬式饅頭

ふるさとの宝物 第187回 葬式饅頭

 暑さ寒さも彼岸まで、冬もあと少しの辛抱だ。彼岸のお供えと言えば団子。団子は大きい方がいいらしい。
 秋田県能代市では「彼岸団子は、仏が帰るとき1個しか持ち帰れないから小さくしてはならない」、同横手市では「終(しま)いのミヤゲ団子が大きいと仏が喜ぶ」と言われる。
 本県でも、南部地方では「終い彼岸の団子は仏たちが持ち帰って比べ合うから大きく作る」「両手でつかめない位の団子を5つ供える」「人に負けず早く行くようにと直径20センチ位の団子を作る」といわれる。
 一方、写真は巨大な葬式饅頭(まんじゅう)。直径30センチ、重さ4キロ。これほど大きな饅頭を供えるのは、県内で三戸町と周辺の一部だけだ。
 なぜこれほど巨大なのか? 同町で菓子店を営む男性によると「できるだけ大きな饅頭を供えて故人を送りたいという気持ちや、互いに競い合う気持ちからではないか」とのこと。
 ただし巨大化したのは戦後。比較的新しい習俗だが、動機は彼岸の団子に通じるものがありそうだ。

(写真)
 1個が通常の40個分に相当する葬式饅頭(県立郷土館蔵、複製)

※この記事は2017年3月9日付け東奥日報朝刊に掲載されました。

投稿者:学芸課  増田 公寧

[コメント] 2017-03-27 09:34

No.91 ふるさとの宝物 第188回 ほら貝

ふるさとの宝物 第188回 ほら貝

 法螺貝である。今では「ブオォオ~ブオォオ~」と合戦の合図として使われるイメージが強いが、元々は仏教、修験道で使われていた法具である。仏教においては仏陀の説法や魔除けの象徴であり、修験道においては山伏同士の合図として用いられた。実際の音は思ったよりも大きく、遠くまで届くので村落でも様々な合図としても使われていた。大きな音が出ることから、大げさなことを言うホラ吹きの語源にもなっている。
 さて、法螺貝の殻の持ち主であるホラ貝は、日本では紀伊半島以南に生息する貝であり、珊瑚の天敵のオニヒトデを補食する。また、その身は刺身だけでなく、煮ても焼いても食べられる貝である。食べたことは無いが、ヒトデも食べてしまう大きな貝であるから、その食べ応えはなかなかのものであろう。
 残念ながら掲載した法螺貝は展示していないが、当館三階のわくわく体験ルームではこの法螺貝のレプリカがあり、自由に法螺貝を吹くことが出来る。吹き口に唇をあて、唇を震わせながらブーっと吹くといい音が出る。もうすぐ春の新生活が始まるこの季節、景気づけにブオォオ~と吹いてみてはいかがでしょうか。

※この記事は2017年3月16日付け東奥日報朝刊に掲載されました。

投稿者:学芸課  伊藤 啓祐

[コメント] 2017-03-30 10:10

No.93 ふるさとの宝物 第190回 松木満史の裸婦デッサン

ふるさとの宝物 第190回 松木満史の裸婦デッサン

 「乳からかたにかけて緑の美しい影だ/顔は赤/はらはオークル/(膝?)から下は紫/右足のすねはやや白し/うでの影は赤に近い紫/四月二十七日夜描く」。
旧木造町(現つがる市)出身の洋画家・松木満史は、フランスで描いた裸婦デッサンにこう書き込んだ。松木がフランスに滞在していたのは1938年9月からの一年間ほど。その間熱心に取り組んだのが裸婦デッサンである。
フランスでのヌードモデルのデッサン料は日本よりもずいぶん安かったという。松木はここぞとばかりに生身の肉体を描いた。そこで発見したのは、多彩な影の色であった。
影と聞くと黒が連想される。しかし松木は目の前に横たわるモデルのあるがままを観察し、影にも緑や紫があることを知った。殴り書きの素早い筆跡や省略された文字からは、自分の中に芽生えた新たな認識を逃すまいとする緊張感が伝わってくる。帰国後、松木は色彩の画家へと変貌していった。

※ この記事は2017年3月30日付け東奥日報朝刊に掲載しました。

なお、この『ふるさとの宝物』の連載は今回をもって終了しました。長い間お読み頂き、ありがとうございました。

投稿者:学芸課 和山 大輔


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